2018年1月30日火曜日

お勉強♡

昨日は駒場キャンパスで博士論文審査に行ってきた。

審査される側ではない。する側だ。

審査というのはされる側よりもする側が大変だと最近は思う。

いや、もちろん、1本の博士論文を書くことは大変な作業であるのだが、書くことを別にすれば、つまり、口頭審査の準備はする側が大変だということ。

だって、読まなきゃいけないんだもん。しかも批判的に。当たり前のことだけど、批判的に読むというのは、意外に大変なのだ。

金曜日には学部の卒論と修士論文の審査会があって、その場合、卒論や修論ならたいては1枚のメモ用紙でも済むかもしれないが、博士論文だとかなりのメモが必要になる。1章につき1枚といったところだろうか。

こんな風にコーネル大学式を気取って二段組みでメモを取ってみた。

コーネル大学式というのはノートテイキングの方法のひとつだ。文字どおりコーネル大学が発祥。1枚のノートをちょっと左寄りの Iの文字で区切る。上の横棒の上にはタイトルなどを書く。縦棒の左側にはトピックやキーワード、章タイトルなど、右側にはその内容をメモ。下の横棒の下は、自分の言葉でまとめの文章を書く、という感じ、と僕は理解している。

で、ふだん、あまりそうした内容把握のようなメモは取らないのだけれども、少なくとも、審査をするために論文を読むにはこの方式はいいかもしれないと最近思ったのだ。だからそうしている。


もちろん、このレイアウトはワープロソフトやエディタではできない。そういうテンプレートもない……と思う。それで、ともかく、二段組みでやってみたという次第。博士論文は長く、かつ残るものでもあるから、やはり手書きよりもファイルで残しておきたいじゃないか。

2018年1月24日水曜日

東京でいちばん高い山

水曜日は3限に早稲田の教育学部での授業、5限には東大に戻って(「戻って」という動詞は正しいのか?)授業、という日。ところが今日はもう東大は授業がない。早稲田はある。つまり、3限後は、いわば空き時間。

で、授業後、久しぶりに戸山公園に足を向けてみた。早稲田の戸山キャンパス(文学部キャンパス)の隣にある公園だ。それを取り囲むように都営住宅の団地がある。

さすがに、まだ雪に覆われていた。

僕がてっきり戸山富士だと思っていた箱根山は、登山道はたいていはきれいに雪かきされていたのだが、一箇所、氷結していて、結局、上るのを諦めた。回り込んでもうひとつの側から行けばどうだったのだろうかと帰り道に考えたが、後の祭り。

ついでに穴八幡にも寄ってきた。

なぜ戸山公演に行く気になったのだろう? 

たぶん、これだ。

そして、その中心には、山がある。標高四十四メートル。山手線内でいちばん標高が高いとはいえ、見た目はちょっとした丘という程度だから、遊歩道の脇に設置された「登山道入り口」という看板を大げさだと千歳は笑ったが、実際に上ってみるとけっこうな急斜面で、確かに「山」だと思った。(略)
 今、山の頂上には、その来歴や「登山証明書」を発行する旨が書かれた案内板がある。欅の梢で視界が遮られるが、それでも団地の高層棟、すぐ近くにある大学の校舎、新宿の超高層ビルが、ぐるりと見渡せる。欅の大木に覆われた斜面は森のようで、ここが新宿からすぐの場所とは思えない。

これは柴崎友香『千の扉』(中央公論新社、2017)13ページからの引用。


千歳という大阪の似たような団地で育ち、結婚して夫の祖父のものだったこの団地に住む女性の話を軸に、グランド・ホテル形式で交錯する他の人生をも描いていくこの小説が面白く、いい感じだったので、きっと気になっていたのだろう。戸山公園を取り囲む戸山団地がモデルだとどこかで聞き知って、それが念頭にあったに違いない。もう何十年ぶりになるかわからないけれども、ともかく、久しぶりに足を向ける気になったのだな。

でも、それは意識の表面にはなかったことだから、帰ってからこの記述を読み返し、実にこの箱根山の記述が素晴らしいと確認すると同時に、ああ、どんなことをしても山頂まで登っておくのだったと後悔した次第。


雪が溶けたら時間のあるときに行ってみよ。

帰りがけに、文庫化された『パノララ』(講談社文庫)も買ってきた。
『世界イディッシュ短篇選』西成彦編訳(岩波文庫、2018)
山本義隆『近代日本一五〇年——科学技術総力戦体制の破綻』(岩波新書、2018)
とともに。

2018年1月23日火曜日

銀とプラチナはどう違う?

最近、こんなのを使っているのだ。

この写真のなかではピントの合っていないブツを問題にしたいのだ。

左手前。モンブラン・マイスターシュトュック、ル・グラン♯146 プラチナ・ライン、M字。

ずっとマイスターシュトュック(どうでもいいが、この表記はおかしいと思う。シュテュックかシュトゥックならわかるが)の♯149ゴールドラインを使ってきた。一番軸の太い奴だ。ペン先はEF。一番細い奴。小さな字を書いていたころ、どんなペンも鉛筆も、先は極細のものでなければならなかった。

僕はがさつな人間だし、筆圧も強いのだろうか? EFだと折ってしまいそうで怖かった。最近は字もあまり小さくなくなってきた(理由は、主に読む自分を考えてのもの。要するに老眼だな)。そんなわけで、MかせいぜいFのペン先のものが欲しいと思うようになった。

最近はペリカンのスーベレーンの800のMを使うようになっていた。スーベレーンでも2番目に太いもので一番人気のものだ。たぶん。実に使い心地はいい。

さらに最近は、モンブランも復活させ、ペリカンと交互に使うようになっていた。

ある日、モンブランの代理店に行った時(ローラーのカートリッジを買いに行った)に、マイスターシュトュック万年筆のペン先を変えるといくらするかと訊ねた。けっこう高くて、お店の方も、他のものを買った方が早いのではないかとおっしゃっていた。

ちょっと前に思い立って探してみたら、意外と簡単に見つかった。中古で半額くらいの値段の♯146(ちなみに、♯149は質屋で、つまり質流れ品のディスカウントショップで買ったもの)。しかもやはり金よりはプラチナだか銀だかがいいと思っていたので、ぴったりのプラチナライン。ペン先はM。♯149よりはひとまわり軸が小さい(長さはほんのわずかに短いだけ)のだが、スーベレーン800程度ではある。書き心地もいい。

サインも弾む……のか? 隣は♯149。


でも、こうやって使うと、やっぱりEFのペン先もいいかな、なんて思ったりするのだから、僕はつくづく優柔不断なのだ。あるいは浮気性なのだ。

2018年1月15日月曜日

僕ならメキシコ市の書店ガンディーを選ぶ

今回もバスケスの話。

ヘンリー・ヒッチングズ編『この星の忘れられない本屋の話』浅尾敦則訳(ポプラ社、2017)にはフアン・ガブリエル・バスケス「ふたつの本屋の物語」(69-82ページ)という文章が載っている。バスケスはここで、ボゴタのふたつの書店のことを書いている。ラーナー書店とセントラル書店だ。

ラーナー書店は大型店で、作家になりたいとの思いを抱えてそこに通っていた「ノスタルジアをかきたててくれる店」として紹介される。「自分の出発点となった思い出の本屋」。法学部の学生でありながら、やはり自分の天職は文学であるとの自覚を得、いつか敬愛する作家マリオ・バルガス=リョサの隣に自分の本が並ぶことを夢見ていた、そういう場所。

セントラル書店はハンスとリリーのウンガー夫妻が経営する、父の代からツケで本を買っていた馴染みの本屋。彼はこれを実名で『密告者』に登場させた。「一九九五年の補遺」という第五章に相当する章だ。「ふたつの本屋の物語」ではその部分が引用されている。自己引用。こんな部分だ。

 本が出版されると、書店まで来てほしいというリリーからのメッセージが留守番電話に入っていた。他人行儀の、有無を言わせぬ調子の声で、たぶんサラ・グーターマンのことだろうと、私は思った。少なくとも、彼女から話を聞けずに終わってしまった、コロンビアの政治家がひた隠しにする反ユダヤ主義に関することにちがいない。なにしろハンス・ウンガーは、コロンビアにやってくるユダヤ人をできるだけ少なくするためにロペス・デ・メサが実施した禁止令の、最も直接的な被害者のひとりだったのだ(そのことは誰もが知っていた)。彼はインタビューだけではなく、常日頃から、彼の両親がドイツの強制収容所で亡くなったのは、彼自身が取得したようなコロンビアのビザが両親に発行されなかったせいだと公言していたのだ。ビザを取得したハンスが故国オーストリアからコロンビアに到着したのは一九三八年のことである。そういうわけで、約束の時間に赴くと、ハンスとリリーが私を待っていた。ふたりの横にはボゴタのドイツ人がよく待ち合わせ場所に利用している、がっしりとしたグレーのテーブルがあった。ふたりはこのテーブルと、ダイヤル式の電話、そしてタイプライター――レミントン・ランド製の、巨大スタジアムの模型のように大きくてずっしりしたやつ――を使って、本屋を営んでいた。メインの陳列キャビネットには、私の本が三冊飾ってあった。リリーはバーガンディ色のタートルネックのセーターといういでたちで、ハンスのほうはというと、ネクタイを締めて、スーツ・ジャケットの下にアーガイルのセーターを着込んでいた。(77)

これは英語に訳されて編まれたエッセイの中での引用。訳者の浅尾敦則が英語から訳した、言わば重訳だ。現在、日本語に訳されている『密告者』の当該箇所(411-412)と比較してみると、スペイン語や英語が読めずとも、翻訳というのがいかに人によって異なるのかが分かるのではあるまいか。『密告者』の服部綾乃・石川隆介訳は、独自に改行を設け、間接話法はほとんど用いず、引用符も分かりやすくつけることによって意識や発話と叙述とを書き分けて、実に懇切丁寧な訳だ。そのことの善し悪しは問わないが。ともかく、そんなわけで、この引用と比べると違いは鮮明だ。繰り返すが、善し悪しの問題ではなく、その差がとても興味深くはある。

さて、バスケスが『密告者』出版後はじめてセントラル書店を訪ねたところ、「リリー・ウンガーから、国を愛する気持になんら変わりはないと、文句を言われてしまった」のだそうだ。今ではハンスはコロンビア政府を非難してはいないのだと。「それに、実在の人物を何の許可も得ないでフィクションの中に登場させて、勝手なことを喋らせてもらっては困る、とも言われた」。そして極めつけは、こう言われたのだそうだ。「それにね、ハンスはアーガイルのセーターなんて、一度も着たことがないのよ」(78)と。


この話を先週土曜日の授業でするつもりだった僕は、アーガイルのセーターを着ていったのだが、なぜアーガイルを着ないことにこだわるのか、と大変活発に議論がなされたのだった。こうした細部へのこだわりというのは、意外に大切なことなのだ。

2018年1月9日火曜日

ある邂逅について

土曜日には立教大学のラテンアメリカ講座でフアン・ガブリエル・バスケス『密告者』服部綾乃、石川隆介訳(作品社、2017)を読んでいる。先日読んだところにガイタンの暗殺の話が出てきた。

コロンビア自由主義陣営のスターで、ゆくゆくは大統領になると目されていたホルヘ・エリエセル・ガイタンが暗殺されたのは1948年4月9日午後1時。これを機に暴動が起き、ボゴタには混乱が生じた。ボゴタ騒動あるいはボゴタソと呼ばれるものだ。バスケスの2015年の作品La forma de las ruinas は、このボゴタ騒動を扱っている。

残念ながら(恥ずかしながら)この最新作を僕は読むに至っていないので、代わりに、ガルシア=マルケスの自伝『生きて語り伝える』のボゴタ騒動についての記述をコピーして配布、比較した。

近くの「グラナダ薬局」Droguería Granadaというところに匿われていた犯人が、大群衆に引き出され、引きずられて大統領官邸前広場まで行った、とバスケスの小説には書いてある。そして語り手はそのときの写真を見たことがあると言う。

引っ張られていく犯人の遺体と、遺体のうしろに点々と打ち捨てられている犯人の衣服。俺はそれを見るたびに必ずと言っていいほど、蛇の脱皮のシーンを思い出してしまう。写真はピントが微妙にずれていて、犯人フアン・ロア・シエラの遺体も、単なる白っぽい塊、それもほとんどエクトプラズムのようなぼんやりした塊にしか見えない。ただし、エクトプラズムと違うのは、塊の真ん中あたりに黒っぽい染みのようなものがついていること。その染みのようなものとはもちろん、犯人の性器である。(381)

犯人を引きずるこのシーンをガルシア=マルケスは目の当たりにしたらしい。『生きて、語り伝える』ではその情景を克明に描いている。犯人が匿われた店の名は「ヌエバ・グラナダ薬局」Farmacia Nueva Granadaになっているが、このくらいの差は、一方がフィクションなのだから、特に気にならない。だが、ガルシア=マルケスは、この犯人の身体にはパンツと片方の靴、それにネクタイが残っていたと記しているのだ。そしてこのほとんど裸なのにネクタイだけが残っているという記述は、何らかの文学的効果をもたらしているような気がしてならない。自伝であると素直には語りたくなくなる瞬間である。

ところで、フィデル・カストロもこの日、ボゴタの犯行現場近くにいた。午後2時にはガイタンはフィデルと会う約束をしていたのだ。

フィデルは、しかし、この犯人が引きずられているシーンは目撃していないようである。少なくとも、本人の回想の中ではこのシーンは語られない。ガボとフィデルは近くにいながら、巡り会ってはいないようである。

ところで、ガルシア=マルケスはこの騒動の最中、弟と一緒に質屋に走り、タイプライターが無事かどうか確かめた。質屋は無事だったが、タイプはなくなっていた。

同じころ、フィデルはタイプライターを目にすることになる。

細かく覚えていることがあります。最初のころのことですが、小公園に着くと、どこからか奪ってきたらしいタイプライターを壊そうとしている一人の男の姿を認めました。タイプライターを壊していたのですが、怒り狂ったその男は、手でそのタイプを壊そうとして、おそろしく苦労していました。それで私は声をかけたのです。「きみ、貸してみなさい」と。私は彼の手助けをして、タイプを受け取ると高く投げ上げ、地面に落としました。その男の絶望した様子を見ている、ほかに考えが浮かばなかったのです。(『少年フィデル』177-178)

フィデルが壊したタイプこそが、ガボか安否を確かめ、失ったことを知ったタイプだ。

……と思う。そんな話を後年、二人がどこかでしていたように思ったのだが、今回、授業の前に探してみても見つからなかった。

したがって、というか、それ以前に、これら2つのタイプライターが同一のものなのかどうか、実際にはわからない。でも僕は、これは同一に違いないと思っている。そうであって欲しいと願っている。


フィデルとガボ。年の近い、仲のよかったこのふたりは、かくして、ごく若い頃、邂逅を果たした(ようなものである)。

2018年1月7日日曜日

友がみなわれより偉く見ゆる日よ

大学の教員、つまり研究者の重要な仕事のひとつに本を書くというものがある。今も何冊かの本の計画を抱え、書けない書けないと唸っているのが僕の現状である。

しかるに、同僚たちは実に生産的で次から次へと本やら翻訳やらを出すものだから困る。こちらの立つ瀬がないのだ。

最近僕を苦しめている(?)ひとりが阿部公彦さんである。ついこの間、

阿部公彦『名作をいじる――「らくがき式」で読む最初の1ページ』(立東舎、2017)

という本を出したかと思ったら、数カ月としないうちに

阿部公彦『史上最悪の英語政策――ウソだらけの「4技能」看板――』(ひつじ書房、2017)

なんてものを出した。困った困った。

僕は以前、阿部さんの『小説的思考のススメ』なんて本を随分と感心して読み、ブログにもそのことを書いたのだが、今回の『名作をいじる』はこの『小説的思考のススメ』のような精読への第一段階のインストラクションと捉えればいいだろうか? あるいは精読過程の開陳。

本に対する態度は、人によって、本によって目的によって違うだろうが、だいたい、次のように分類できるだろう。

1) 何も書かない、貼らない。2)付箋などを貼るが、何も書かない。 3)書きこみはするが、傍線(下線)やある種のマークだけ。 4)何らかのコメントも書きこむ。

まあ、書きこみをした上で付箋を貼る、貼らない、とか、線やマークを鉛筆で引くかペンで引くか、ペンは1色か多色か、などといくつも下位区分はできるだろうが、ともかく、こんな感じ。僕もこの4つのパターンを使い分けている。
(写真はある日の僕の書きこみ。ここでは赤の傍線のみ)
で、問題は4)だ。僕が書くコメントはいささか、機能的にすぎるような気がする。他の参照のほのめかしとか、章ごとのあらすじ、キーワード、等々。どうしても「いじる」のではなくまとめたり捌いたり、といった感じだろうか。ここは阿部先生のインストラクションにしたがって「いじる」タイプの書きこみを身につけたいところである。

後者は阿部さんご本人がここ数カ月、折に触れ、「4技能」入試の欺瞞についてツイッターでの連投などにより批判を展開していたのを拝読しており、その延長線上で思う存分、書いた本となれば、そりゃあ、読んでしまうじゃないか。「4技能」導入の話題が、背後に民間テスト導入の野心が隠れていること、導入決定のプロセスが「有識者会議」という怪しげな集団の会議で決められたことなどを指摘して痛快だ。有識者会議の議事録のおかしさを指摘する手並みは、さすがに「らくがき式」で読んでツッコミまくった結果なのだろう。

教育に関しては、誰もが口を出すに充分な資格がある「有識者」を自認してしまう(だって教育受けてきたんだもん)ところが厄介だ。英語に関しても、不思議と誰が口を出すに充分な資格がある「有識者」を自認してしまう(だって授業を受けてきたんだもん。しゃべれないけどさ)ところが厄介だ。英語教育だと二重に厄介な話になる。そんなところで果敢に戦っておられるのである、阿部先生は。あとがきには、このように書いておられる。
 今回の英語政策の変更過程を見渡してみて驚くのは、政策推進を声高に主張した方々が、信じられないほど古い固定観念にとらわれているということです。ご自分では改革派を自認しているつもりが、実は五〇年以上前から繰り返されてきた――とっくに賞味期限の過ぎた――「妄想」を再生産しておられる。そのため、有識者会議でも議論はほとんどかみ合わず、昔からあるイデオロギーが振りかざされただけでした。もう少し言葉について、あるいは教育や文化についてじっくり考えたことのある方の意見を聞きたいとつくづく思います。有識者会議がこの程度の「有識者」で構成されるというところに、日本の今の危機がもっともよくあらわれているのでしょう。もちろん、会議を組織した政治家の問題がもっても大きいのは言うまでもありません。(150)
本当に、教育に関してなど、古い考えを自慢げに開陳して恥じない人は多いよな。僕も時々思う。



……でもなあ、繰り返すが、もう少し前の著書と今度の著書の間は空いていると、僕としては助かるのだけどな。引け目を感じずにすむ。差し上げたりいただいたりの献本の不均衡が少しは是正される……

ま、僕ががんばればいいのだが……ええ。がんばりますとも。