2017年10月29日日曜日

スペイン語の世界

昨日、28日(土)には、東京外国語大学でのスペイン語教育120年記念の催しに行ってきた。

まずは寺崎英樹先生による講演。氏は外語在任中に100周年の執筆を担当したそうで、日本とスペインとの接触から始まって東京外語大におけるスペイン語教育までを振り返った。

その後、二つの分科会。そのうちのひとつで僕は、久野量一さんの司会により、野谷文昭、宇野和美の両氏と翻訳について語った。3人がそれぞれの翻訳家としての仕事を振り返りながら、本との出会いとか作家とのつき合いなど、いくつかのテーマを語った。(写真は友人による。シンポジウム開始前の僕)

その日は午後からホームカミングデイで、メキシコ史家であったはずがいつの間にかシャンソン歌手になった清水透先生の歌とトークの催しもあったのだが、シンポジウムのメンバーと打ち上げに行き、午後の部は出なかった。

今日、新国立劇場小劇場のマチネで見てきたのは、アントニオ・ブエロ・バリェッホ『ある階段の物語』田中麻衣子演出。新国立の演劇研修所第11期生の試演会だ。


中央に大きな階段を据えたアパートの住人4家族の話。三代にわたる時間を描くのだが、若いカップル(二代目)の台詞が、その子の世代によって繰り返され、安易に若い世代への希望を託すような話にはなっていないところが面白いところ。ただし、その結末を、30年前にこの戯曲を読んだ切りの僕は忘れていたのだけど。

2017年10月22日日曜日

期日前投票に行ってきたぜ


18日(水)には、以前話題にした青山南『60歳からの外国語修行――メキシコに学ぶ』(岩波新書)の刊行記念イヴェントに行ってきた。久野量一さんとのトークショウ@B&B。

僕も1991年の4-5月の5週間、グワダラハラのCEPEに学んだ。青山南さんは、つまり、僕の後輩ということになる。実際には大先輩だけれども……

ケルアックの訳者である青山さんがスペイン語を学ぶのは、これはもう理の当然というか、必然というか、そういえば今日の『朝日新聞』の書評欄で評されていたアーヴィングの『神秘大通り』の主人公もフワン・ディエゴだし、そんなわけで、アメリカ文学の方々には大いにスペイン語を学んでいただきたいと思うのである。

で、ところで、行きの飛行機の中でガレアーノの『収奪された大地』を読み始めたという青山さんは、本書中にも多くのメキシコ関連の本を引いて、新たな読書へと導いてくれる。

トークショウでもそんな質問が出ていた。言及された本の数々をどのように選書したのかと。たとえば『トラテロルコの夜』などは?……

青山さんの著書のなかでも一番意外に思ったのが、このことなのだった。つまり、彼はスペイン語の授業の過去形の練習問題において1968年10月2日のトラテロルコの三文化広場における大虐殺を知ったのだと。そして、それから家族の方(と答えていただろうか? 単なる「知人」と言っていただろうか?)を通じて翻訳を取り寄せ、読んだのだと。

僕が意外に思ったと言ったのは、つまり、トラテロルコの虐殺のニュースは日本では報じられなかったか、それとも報じられたとしてもさしたるインパクトを残さなかったのだな、ということ。

本文には、オリンピックのことやそこでの黒人選手たちのある振る舞いのことなどは記憶に残っていると書いてある。アメリカ文学に関心を寄せていた青山さんのことだから、それは当然だろう。が、そのついでのちょっと前のこの事件(オリンピックを睨んでの処置)を覚えることさえなかったというのだから、きっと日本ではまったく報じられなかったんだろうな。

それが意外だというのは、僕はその5年後、73年ともなると、もう立派に自意識を抱いていて、その僕はその年のチリのクーデタの報道は記憶しているように思うからだ。もちろん、記憶というのはあくまでも曖昧で、それは事後的に得られたものかもしれないのではあるが……

トラテロルコの三文化広場とそこでの虐殺などについては、準備中の著書『テクストとしての都市:メキシコDF』でも触れている。来年の夏くらいの刊行予定。青山さんに献呈して差し上げよう。

翌日、こんなものを手に入れた。電子版『スペイン語大辞典』(白水社/LogoVista)

むふふ。

立教のラテンアメリカ講座ではフアン・ガブリエル・バスケス『密告者』服部綾乃、石川隆介訳(作品社)を本格的に読み始めた。面白いと評判である。昨日は翻訳のあり方についての議論で盛り上がった。

昨日は帰り道、期日前投票所に寄って1票を投じてきた。


僕は「穏健なアナーキスト」などと若き日のサルトルのような定義で自らを位置づけるものであり、共産党や社会党(現・社民党)の支持者であったことはない(言うまでもないが、自民党や公明党には一度として投票したことはない)。どちらかというとオリーヴの木方式で小さな政党が離合集散を繰り返しながら政治が作られていくのが好きではある。そのために野党に票を投じ続けているわけだが、今回は、ともかく、何が何でも安倍晋三の馬鹿者を引きずり下ろさなければならないとの危機感がある。秋葉原でのABの最後の演説の異様な映像を見るにつけ、そう思う。今すぐあの男を引きずり下ろさなけはれば僕らは滅びへの道をひた走ることになる。いや、既に走ってはいるのだが……

2017年10月15日日曜日

今年のラテンビートは1作品しか見られなかった。

いや、表題以前に、10月は半ばの今日になるまでブログを更新せずにいた! 

日本イスパニヤ学会63回大会に出た。

授業が始まってオロオロした。

そして、今年唯一のラテンビート映画祭:

ルクレシア・マルテル『サマ』(アルゼンチン他、2017)


一度では分かりきれなかったところもあるが、植民地の閉鎖的スペイン人社会に流れるなかなかに不穏な雰囲気を作り出して、いかにもマルテルらしいと思えた前半だったのが、ディエゴ・デ・サマ(ダニエル・ヒメネス=カチョ)が悪党のビクーニャ・ダ・ポルト征伐に出かけてからの後半の展開は目を見張る。前半は音声の取り扱いにハッとさせられ、後半はBGM(「アマポーラ」と "Te quiero dijiste" ! )にハッとさせられる。