2013年1月24日木曜日

アイデンティティなど……


言語文化学部主催の講演会、柴田元幸「文学の翻訳」

この講演会は、外語が2学部体制になって、各学部が1年生の進路の指針にと設けたシリーズの一環。だからターゲットは1年生だったのだが、さすがに上級生や大学院生も多く参加した柴田さんの講演会だった。

透明となることを旨とする比較的古典的な翻訳者論をむしろ持っているとする柴田さんは、そうではなくて他者性を顕示させるべきだとする翻訳論に対し、透明性を追求しても透明になり切れることはないのだとして批判。

そうした概論の後、フロアから質問を受けつけて応答、盛り上がったのだった。アイデンティティなんて幻想に囚われるな、など、すてきな応答をされていた。

最初に訳したポール・オースターは『ガラスの街』で、それをやりかけていたら、既に版権を取っていた他の出版社が出版、そのままお蔵入りになっていたのが、20年くらい経って新たに新訳を出すことになり、取り出してみたら、最初、使い物にならないのでは、と恐れたが、実は、さほど訳は変わっていなかった、などという話なども引き出された。

明日は1限から授業だというのに、懇親会にもつき合っていただいた。

2013年1月21日月曜日

地でいく


先日のゴールデン・グローブ賞の授賞式で、ジョディ・フォスターが正式に自分がレズビアンであることを認める発言をした。そのことをぼくはCNN Méxicoの報道で知ったのだが、日本であまり報道されていないように思うのは、それがもう周知の事実、というか、公然の秘密のようなものだったからだろうか? 彼女にニュースバリューがないというわけではない……と思う。思いたい。

そんなことを考えていたら、

竹村和子『彼女は何を視ているのか:映像表象と欲望の深層』(作品社、2012)116-120ページの、アンドレ・テシネ『夜の子供たち』映画評に出くわした。そこで竹村は男たちの欲望の対象たる女優としての役割を引き受けてきたカトリーヌ・ドヌーヴが晩年、養女や教え子、年下の女たちへのホモセクシュアルな欲望を包み隠さず表現する役柄を引き受けるのは当然の成り行きなのだ、というようなことを論じていた。(『ドヌーヴ』という名のレズビアン雑誌があった、なんてことも!)

うーむ。これは『ヴェニスに死す』のアッシェンバッハ/ダーク・ボガード/ルッキーノ・ヴィスコンティの裏みたいなものかな? などと思ってしまうぼくは理解が浅薄かな? でもヴィスコンティなんてやおい腐女子がきゃー! と叫びそうな映像だものな……

閑話休題。

そういえばジョディというのは、少女性愛(ペドフィリア)の対象のような役割を引き受けていたのだった。たくさんのストーカーを生みだしたのだった(一番派手な例が『タクシードライバー』におけるロバート・デ・ニーロ……?)。その彼女が、人工授精で子を儲け、常に決まった女性のパートナーとともにいることは、竹村の描く「女たちの連帯」を地でいっているようなものなのだろうな。

ジョディ・フォスターはぼくよりもひとつ年上、ぼくの憧れのお姉さんなのだった。

2013年1月19日土曜日

跡づける


10月くらいに授業でナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』幾島幸子、村上由見子訳(岩波書店、2011)を引き、チリのクーデタがいわゆるグローバル化のひそかな始まりであり、それと戦ってきたピノチェト以後のチリの作家たちは読み返されなければならない、というようなことを言った手前、読んだのだ。

中山智香子『経済ジェノサイド:フリードマンと世界経済の半世紀』(平凡社新書、2013)。

そりゃあね、シカゴ学派の導入を紹介してチリがグローバリズムの起点だ、と授業で言うのは簡単だが、ぼく自身は別に思想史的にそれを跡づけたわけでもないし、それを跡づけた書を読んだわけでもないので、こんな書があると助かるというもの。

シカゴ学派の爪弾き者としてのアンドレ・グンター・フランク(ちなみに、「経済ジェノサイド」という不穏な用語は彼のもの)を対置しながら、フリードマンの主張がチリの経験を通過して「主義」として浸透していくさまをたどり、J・K・ガルブレイスとの対比でイギリスでサッチャリズムに結びつく様子を確認し、企業家に浸透していくさまを追う展開は、実に参考になる。途中、グローバリズムを越えるものとしてのカール・ポラニーの経済人類学の概念を導入し、展開していくのは、今回のぼくにとっては、また別の展開。

(そういえば、この間書いたように、大学のころ、フランクやボラニー、読んでいたのだよな、ぼくは)

ちなみに、今日(もう日付がかわったので、正確には昨日、18日)、ちょっとしたインタビューを受け、それを撮影もされたのだった。気恥ずかしい。

2013年1月12日土曜日

正しい「父殺し」のために


体罰、などと婉曲語法(暴行や恐喝を「いじめ」と、売春を「援助交際」と言くるめるやり方)でごまかされた暴行傷害事件が原因で高校生が自殺し、そのことが問題になっているので、TwitterでもFacebookでも多くの人が体罰について書いている。桑田真澄のこの発言などは、すばらしい。

一方で、同じ『朝日新聞』では、そのちょっと前に、こんな発言が報じられていることも忘れてはならない。これが文部科学副大臣を務める谷川弥一の言葉だというのだから、暗澹たる思いだ。われわれは谷川弥一の名を心に刻んで、決して忘れないようにしなければならない。

こんな時期だというのに、昨日ぼくが目にしたのは、言葉を失わせる光景だった。あるTVの夕方のニュースショウで、その局で今度始まるらしいドラマの宣伝をしていた。それ自体は珍しいことではないのだろう、が、そこで流れたその新作ドラマのハイライトシーンというのが、子を殴る父のシーン。そしてその父役の俳優が、自分はこんなことはなかったが、昔の父親にはこうしたのが多かった、そんな昔ながらの父親だ、と自らの役柄を紹介し、それに合わせるように、プレゼンターが、昭和の時代のいいお父さんですね、というようなことを言う瞬間だった。

うーむ……

子を思う気持ちの強い父(そういう役であるらしい)であることと、その良き父が暴力をふるうことは別ものなのだ。今、このシーンを流しながら父の心情を褒め称えることは、「体罰」(暴力)容認を意味しうることだとは気づかないのだろうか? とぼくは言葉を失った。

いかにも、ぼくらの父の世代は怖かった。暴力をふるう者もいただろう。ぼくは生まれる前に父を亡くしているので、そんな思いはしなかったが、父の横暴に恐怖する子は、ぼくの周囲にはたくさんいたように思う。ぼくは、自分には父がいなくて本当によかったと、心底思ったものだ。父は子を社会化する存在だろうが、暴力に乗じて社会的規範を植えつけるなら、それはショック・ドクトリン(ナオミ・クライン)と一緒ではないか。つまりは洗脳ではないか。

ところで、この体罰問題について論じたものの中で、ぼくが最も虚を突かれたのは、内田樹の「「挨拶代わりに殴る」というような先生もいました。彼らの多くは復員兵でした。下士官だった教師はとくに殴るのが上手でした。片頬だけ笑いながら、鮮やかなビンタを決めました」というTwitter上での回想だ。

学校での暴力(体罰)は、戦中戦前の軍隊の遺制であり得るということだ。すべてとは言わないけれども。そしてまた軍隊の遺制ということは、戦中戦前の時代の遺制でもあるだろう。内田の回想の前半はそういう意味だ。桑田真澄の指摘が及ばなかった歴史的な問題がここには含まれている。暴力を体罰と呼んで問題を隠蔽することは、歴史をも隠蔽することであり得るかもしれない。

他方、内田の回想の後半、殴るのがうまいのは「下士官」だったという指摘は、矢作俊彦の「体罰は不要。卑怯な行為だと桑田真澄。対するに自分も殴られて育った。今も恩師だと長嶋一茂。考え方、受け止め方の違いというより、立場の違いだろう。誰も長嶋茂雄の伜を本気じゃ殴らない。体罰を日常化しているような『教育者』は、殊に。目下の決してやり返せない者を殴る奴は目上に揉み手が通例」とのTwitter発言に根拠を与えもしよう。同時に、暴力が常態化した関係において、殴る側に芽生える快楽をも指摘しているようで薄ら寒い。「片頬だけ笑いながら」のビンタ。不気味だ。

2013年1月9日水曜日

課題

木曜2時限「アメリカ文化論」のレポート課題。年内に発表すると言っていたのに、遅くなってしまった。以下からダウンロードください。
http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~yanataka/kadai.doc

あるいは、ここでも:
https://dl.dropbox.com/u/871676/kadai.doc


2013年1月8日火曜日

象を撃つ


三浦玲一編著『文学研究のマニフェスト--ポスト理論・歴史主義の英米文学批評入門』研究社、2012

編者三浦玲一によるはしがきには「マニフェスト!」という「!」つきの題が冠され、意気がこもっているのだが、要するに文学研究の方途としての理論の現在を見直し、同時にその入門書としての機能も担わせた1冊。

「II 文化研究以降のマルクス主義批評」河野真太郎「文化とその不満:教養小説の終わりと『怒れる若者たち』」(31-62)の第一、二文「『文化』という言葉の用法について、ひとつの特徴を指摘したい。『文学』は不思議なことに『文化』には含まれなくなっているのだ」(31)に目から鱗が落ちる思いをして、かかる文化の窮状が社会と文化を分離する歴史的な考え方の帰結だと説得され、それにレイモンド・ウィリアムズの二重視(double vision)の語が適用されるのを確認したら、「VII ポストコロニアリズムは終わったのか」中井亜佐子「対位法の時空間:歴史を読む/サイードを読む」(179-205)でサイードのいわゆる「対位法的読み」の解説を確認するといいかもしれない。「ここで理論は、作品に当てはめるとそれが分析できる魔法ではなく、ある時代に作られた読解の制度として、また、歴史は、そこに作品が還元されるべき証拠としての事実ではなく、その時代の言説を構成する一部として取り扱われる」(iv)と三浦がまとめていることが納得できるというもの。ウィリアムズにしろサイードにしろ、一元的解釈ではない態度でテクストに対峙したということを、範例としてこの書は示そそうとしているのだろう。

つづけて、「『文化と社会』の分離の系譜の転換点は、五〇年代に求めることができるし、マルクス主義(批評)の文化左翼化の系譜もまたしかり」(50)との、同じく河野の示唆を受けて、今度は編者三浦玲一による「III イデオロギーとしての(ネオ)リベラリズム」「『文学』の成立と社会的な想像力の排除--『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の現在とコーマック・マッカーシーの『ザ・ロード』」(63-90)を読めば、相互の対応関係がはっきりするのではないか。そしてまた先に引いた三浦まえがきの後半部「歴史は、……その時代の言説を構成する一部」云々が得心されるのではないか。

1951年に発表されたサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』(本書では『キャッチャー・イン・ザ・ライ』と表記)に対するカルト小説的読みと象徴解釈的な読みを退け、戦後の冷戦リベラリズム期に受け入れられるべくして受け入れられた歴史的産物であり、かつ、そこに対する冷然たる批判的視座も有する作品としてこれを歴史化するこの三浦論文は、題材がおそらく最もポピュラーなものであるだけ余計にそうなのだが、やはりこの論文集最大のハイライトだ。

ところで、河野が導入しているウィリアムズの「二重視」の概念。ぼくは寡聞にして知らなかったのだが、これはオーウェル論で展開されているのだという。「オーウェルが帝国の官吏としての仕事をすることと、帝国主義の全体について批判的な視座をもつことの二重性を、この言葉は示している」(41)らしい。今、手もとに現物がないので確認できないのだが、エッセイ「象を撃つ」などはオーウェルのその二重性がよくわかる文章だったように記憶する。

赴任先のインドで、象が逃げ出して暴れているとの報をうけてその場に行ったオーウェルは、唯一象を鎮める権利を持った人間としてライフルを構え、そんな期待が自分に向けられていることを感じ、しかし、だからこそ象を撃つことができずに立ち往生する、そんな内容のエッセイだったように思う。時々、悪夢のように思い出される文章だ。

2013年1月7日月曜日

いいまつがい


尾田栄一郎『ワンピース』(集英社)

なんてのを、訳あって、ぱらぱらとめくっている。

第三巻「偽れぬもの」の巻(2000〔20刷〕)の97ページにこんなセリフがある。ある島で宝石箱にはまったまま抜けなくなり、そこに居座った人物のものだ。

この島にたった一人、永遠20年この姿だ!!!

……

これ、たぶん、「延々20年」の勘違いだ。「永遠」ではなく、「延々」。「惜しい」を「欲しい」と勘違いするような、わずかな音の差から生じるもの。

尾田栄一郎を批判しようというのではない。このことで『ワンピース』の価値が、それがあるとすれば、貶められるとは思わない。井筒和幸は、ある連載で、年末に公開されていたらしい映画版『ワンピース』をけなしていたが、これは映画の問題。ちなみに、ぼくのこのマンガに対する印象は、マンガの構成の概念が根本から異なる作品だというものだ。ぼくらの見知ったものでない作り方がなされているので、様々なノイズを感じる。それがいいのか悪いのか、まったく判断がつかない。理解不能なマンガだ。

で、ともかく、この種の勘違いはよくある。「延々」を「永遠」と発話するような言い間違い。

音の微妙な差異ではなく、文字の微妙な差異から、ぼくが一度犯してしまった間違いは、「あまつさえ」を「あまっさえ」といってしまったことだ。「ウォツカ」が「ウォッカ」ですっかり定着してしまったようなものだ。「トロツキー」を「トロッキー」と間違えるようなものだ(これについては中野重治がどこかで書いている)。ぼくは「あまつさえ」を「あまっさえ」と書いてしまった。

ある翻訳をしているときのことだ。この間違いを正してくれた編集者は、しかし、面白いことを教えてくれた。ある程度の間違いを犯し、それを指摘されても、こうして間違えて認識してきたのも自分の人生だから、間違いは間違いのままで押し通したい、と主張する人もいるのだとか。言語に対する不遜な態度だと思うが、不遜がきわまって逆にあっぱれ。そのときはそう思ったものだ。ぼくはこんな態度は取れない。

あ、でも、ところで、あれかな。この「永遠20年」も作者と編集者との間にそんなやり取りがあったのかな? 「先生、これ『延々』が正しいんじゃないですか?」「え、そうなの? 知らなかった。でもなんだか『永遠』の方が本当にうんざりするほど長い感じで良くない? これでいこうよ」「そうですね。先生がそうおっしゃるなら」……とかなんとか。

2013年1月3日木曜日

変態に憧れて


書影は以前(2012年11月18日)、掲載済みなので、サイン本であることを知っていただくために、見返しのサインを。

奥泉光『虫樹音楽集』(集英社、2012)

『すばる』に掲載した連作短編。

変態……というのは、ぐふふ、うへへ、というヘンタイではなく、さなぎが蝶になる、あれだ。あれを目指したジャズメンの話。サックス奏者のイモナベこと渡辺猪一郎がカフカの『変身』に憧れ、「幼虫」だの「孵化」だのとついたセッションを重ね、ジャズ界から孤立していく短編「川辺のザムザ」を劈頭に置き、そこからそれにまつわるバリエーションが発展していく。やがてそれは渡辺柾一という実在のミュージシャンをモデルにしたものなのだと種明かし(?)が語られ、彼と組んでいたピアニスト畝木真治の謎のレコーディング遍歴の話になり、どうやら彼が書いた小説らしいと後で種明かしされることになる小説が挟まり……という具合だ。

著者の得意とするジャズ。それから著者自身が時々演奏している西荻窪の「アケタの店」、国分寺、西武多摩川線是政駅の先にある多摩川の川原南部線ガード下、など、著者の得意とする地理。実に楽しみながら書かれたことが忍ばれる1冊だ。誰もがわかるモチーフはカフカ。

ところで、イモナベを扱った第一短編にはモデルがいることがあかされる第三短編はこのように始まる。引用が長いので、短編の長いタイトルは書かない。

 近年出版されたマイク・モラスキー『現代日本のジャズ文化』(青土社 2005)は、「思想としてのジャズ」が戦後日本文化のなかで持ち得た意味を析出する好著で、興味深く読んだのだけれど、これが一つのきっかけになって日本のジャズ史に関心を抱いた私は、関連する著作や資料を少しずつ集めてみる気になった。
 通史的な著作としては、内田晃一『日本のジャズ史 戦前戦後』(スイング・ジャーナル社 1979)が最も浩瀚かつ体系的な著述であり、また戦後のフリー・ムーブメントに対象は限られるが、副島輝人『日本フリージャズ史』(青土社 2009)も貴重な仕事である。この両者を除けば、通史と呼べるようなものは他にはほとんどなく、しかし、そもそも体系性がジャズに似合わないともいえるわけで、むしろ長くないエッセーや評論に面白いものが多いのも事実である。相倉久人『現代ジャズの視点』(東亜音楽社 1967)、平岡正明『ジャズ宣言』(イザラ書房 1969)などは、いまなお新鮮な刺激と魅力に満ちているといえるだろう。本にまとめられていない雑誌の記事やライナーノーツにも光るものがあって、仕事を終えた深夜、音楽を聴きながら、古本屋で漁った本や雑誌の埃臭い頁をぱらぱらとめくるのが、このところの我が生活の愉しみになった。
 菊池英久『モダンジャズあれやこれや』(鶏後書房 1979)も、大阪に所用で行ったおり、ぶらり立ち寄った古書店で見つけた本である。(略)たとえば冒頭に置かれたエッセー、「フルートを吹くコルトレーン」などは興味深い。(42-43ページ)

実在の書名を挙げて論評しながら、そこに架空の書物を紛れ込ませて、架空の話を展開していくというこの手法。

そう。これはボルヘスなのだ。この連作短編集のもうひとつのモチーフは、つまり、ボルヘス。そういえば作者は一昨年、野谷文昭編『日本の作家が語るボルヘスとわたし』(岩波書店 2011)というのに寄稿していたのだった。この基になった講演録は『すばる』2005年5月号に掲載されたのだった。掲載した後、奥泉と『すばる』の担当編集者が話し合ったに違いない。今度なんかボルヘスみたいな連載、やりましょうよ、とかなんとか……

『虫樹音楽集』の第一短編「川辺のザムザ」初出は『すばる』2006年1月号だ。

2013年1月1日火曜日

習慣の力


新年早々、何が悲しいのか……

うまかっちゃん

である。

九州地区で圧倒的人気を誇るインスタントラーメンである。熊本のおみやげだとかで、いただいたものを、元日の昼から食している。こいつぁ春から縁起がいい……

そりゃあね、ぼくだって、一番貧しくて一番腹の空く時代(というのは、高校時代だ)を九州地区(というのは鹿児島市だ)で過ごした人間だ。これにはずいぶん助けられた。でも同時にまだその時代の延長だった大学時代、大晦日と三が日の合計4日のうち、インスタントラーメン2個しか食べられなかったこともある。それが辛い思い出として残っている身としては、なんだか涙が出る。

で、そんな日を思い出すために……ではなく、せっかくのいただき物なので、元日から食してみたのだ。

粉末スープを取り出し、麺を沸騰する湯に入れたら、麺ではない何かまで湯に入った。

調理油だ。そんなものがあることを忘れていた。習慣の力というのは強力だが、一度失ってしまった習慣の非力さに呆然となった。

ぼくはこれが顕著なのだ。何かに慣れるのが早く、それを忘れるのも早い。仕事に追い立てられているときには規則正しく労働として机につき、1日数時間、訳したり書いたりしているくせに、ひとまずのその仕事が終わると、あっという間に生活のリズムを失ってしまう。

堕落体質なのだ。これではいけないなあ、などということを、湯に沈む調理油を眺めて思った……のか? 

うまかっちゃん、ごちそうさまでした。