2010年10月31日日曜日

学会に出る

日本イスパニヤ学会第56回大会(@関西大学)に出てきた。台風が近づいていたけど、ぼくはそれほど濡れなかったし、新幹線のダイヤグラムに乱れもなかった。ものすごく寒かったのだけど、大阪に着いてみたらそれほどでもなく、持ってきたコートが所在なさげだった。当然、Mac Book Airも持っていって、自慢した。

梅田にホテルを取って先にチェックイン。ここでゆっくりし過ぎたので、研究発表には少し遅れて行った。東大の大学院生2人の発表を聞いた。ルルフォとダリーオ。記念講演は鼓直さん。「テネリフェ派のシュルレアリストたち」。記念講演なのに、まるで研究発表みたいな内容で、1935年にカナリアス諸島テネリフェで開かれた国際シュルレアリスム展と、それを主宰した雑誌、Gaceta de Arte の話など。鼓先生、今年、御年取って80歳。若々しい態度だ。

懇親会では主にワイン。幾人かの方々から『映画に学ぶスペイン語』の話を出していただいた。恐縮。紹介された若い研究者はぼくを『春の祭典』の翻訳者と認識してくださっていた。ますます恐縮。

気のおけない仲間たちと二次会、南方のスペインバル。さらに焼き鳥屋。

2日目は、いや、2日目も少し遅れて行った。昨夜の仲間の何人かと駅で会う。お互いもう年だ。教え子の発表を聞き、コルターサルについての発表を聞き、帰ってきた。今日は大阪も帰宅後の東京も雨が少し降っていたので、昨日持って出た傘を使うことができた。間抜けにならずにすんだ。

もはやこの学会の理事ではないので知らなかったのだが、年少の友人が論文を出して掲載が認められ、それが若い研究者に送られる学会の奨励賞を受賞したのだとか。ぼくの出なかった総会で授賞式があったのだという。新幹線代を引けば賞金もほとんど残らないのだけど、まあそれでもめでたいには違いない。

2010年10月30日土曜日

雨の日には長靴を履こう

台風だ。台風だというのに、大阪に向かっている。台風は雨を連れてくる。雨が降ると傘をさす。傘をさしながら歩くと、自然と視線は下に向かう。下を見ていて気づいた。これ、なんだろう? 何か懐かしいような……

そうだ! 思い出した。長靴だ。ゴム長だ。けっこうな数の人がゴム長を履いている。

ゴム長というと、黒や茶色や黄色いのや、なんだかそれが野暮ったく思えていたものだが、今日、すらっとした女性がジーンズの裾を黒い何の変哲もないゴム長靴の中に入れて歩いていると、ぼくがこれまで知らなかった類のブーツであるかのように見えた。

レインブーツ、などと言えば少しはおしゃれになった気がする、なんて本気で考える人が本当にいるのかどうか、ぼくにはわからない。ぼくはそうした思想を鼻で笑う。ゴム長靴はゴム長靴だ。そしてそれは時に、子供時代のぼくの印象を裏切り、とてもすてきに見える。それに反して、ぼくのデザート・ブーツはどうやら底から雨水がにじみ始めたように思えるぞ。やはり砂漠用では雨には弱いのか?

そんなことを考えながら歩いていたら、今度は向こうから焦げ茶色のゴム長靴が歩いてきた……いや、つまり、ゴム長を履いた女性が歩いてきた。女性の脚が。足が。

2010年10月28日木曜日

浪費?


うん。わかってる。浪費だ。こんな浪費をするのは、何かに追い立てられてるんだ。

でもね、買っちゃったんだよな。Mac Book Air 新タイプ。

マルチタッチトラックパッド搭載だし、形も初代にくらべてずっといいし。11インチというやつが出たし。それが魅力だったので。

で、到着。Mac OS X はこうやって古いマックからデータを簡単に転送できる。設定なんかもまったく同じものが再現される。転送中。13.3インチのMacBookを向こうに眺めながら、この大きさだ(上)。1時間弱ですべてのデータの転送が終了。

そして手に持ってみる。この手軽さ(右)。

ぼくは以前、日立のものすごく薄いPCを持っていたが、それは薄すぎて少し不安だったけど、Mac Book Air、キーボードの感触もいい。

さっそく、ちょっと前に報告した今年の語劇のパンフに寄せる原稿を仕上げて、送付。

今週末のイスパニヤ学会にも、来年の帰省にも携えていこう。Mac Book Air。

ところで、なんだかこのBlogger、以前に比べて使い勝手が悪くなったな、と写真を貼ってみて思う。

2010年10月21日木曜日

シマとシマの間の島に雨が降っている

昨日教えていただいて気づいた。奄美大島での雨が激しく、甚大な被害をもたらしているという。とりわけ、奄美市住用や龍郷町というところでは死者も出たとか。

奄美市というのは、例の「平成の大合併」で名瀬市、笠利町、住用村が合併してできた市。今回の被害の甚大だった場所は旧住用村。土砂崩れがあったというのは名瀬市と笠利町の間にある龍郷町(合併に応じなかった共同体)。ぼくが生まれたのは名瀬市。現在の実家は笠利町。名瀬からは間に龍郷を置いて分断された、北の外れだ。

住用村(ぼくの感覚では、やはりこれがしっくりくる)はマングローブの原生林などで有名な名瀬の南の共同体。水が近くにある感じだ。奄美は日本本土を小さくしたように、山がちの地形、海沿いにわずかな平地がへばりついている、その平地に集落が点在する島だ。各集落を島(シマ)と呼ぶけれども、そのようにシマとシマが連なってできたような島だ。つまり島はひとつにして群島なのだ。今回、土砂崩れで道路が分断されたというが、ほんの半世紀ほど前、戦後、いや、復帰後の1950年代にバスが通るまでは「てんま」とよばれるはしけの回船が存在していた。それがシマとシマを海伝いにつないでいたのだ。そうした交通のなくなった今、陸の交通が水にしっぺ返しされている。

今し方、ニュース映像で見たところによれば、懸念されたとおり、旧・笠利町の中心地からぼくの実家のある集落に向かう道路が不通になっているらしい。ぼくの実家の集落(屋仁という)は比較的川とそれが作る平野(河岸段丘、というほどではない)がゆったりしているし、通常は川の水位が低い(昔は一部でとても高かったけど)。ぼくの実家は川からも海からも山からも遠い、集落の中心あたりで、避難勧告が出たとしても、避難所になるはずの公民館のすぐ隣だ。だからさして心配はしていない。たとえ79歳になる母が独りで住む実家に、電話が繋がらなくても。

2010年10月20日水曜日

悪魔も人間を支配などできない

これまでも何度か書いているが(それとも、毎年の話題か?)、ぼくが勤務する東京外国語大学には通称「語劇」と呼ばれるものがある。秋の学園祭(外語祭)で、学生たちが専攻語による劇を上演するのだ。スペイン語の学生ならば、スベイン語による劇。

なんだか大げさなホールができて最初の記念すべき今年は、カルロス・ソロルサノCarlos Solórzanoの『神の手』Las manos de Dios(1956)に決まった。パンフに何か書けというので、読んだ。佐竹謙一編訳『ラテンアメリカ現代演劇集』(水声社、2004)pp. 159-210. に翻訳が掲載されている。ソロルサノ自身が編んだEl teatro hispanoamericano contemporáneo (México, FCE: 1964), pp. 301-358.にも掲載。

ページ数からわかろうが、長い作品ではない。時間制限のある学祭にはちょうどいいかもしれない。

『神の手』と言いながら、悪魔が出てくる話。悪魔が人間に自由をそそのかす。領主が強大な権力を持っている共同体で、領主を悪く言ったために投獄された弟を助けたいと願う少女ベアトリスが、悪魔にそそのかされて看守に賄賂を渡すが、それでお気に入りの娼婦を身請けしたいと願う看守は要求額をつり上げ、ベアトリスは教会に忍び込み……という話。

台詞の分量など、あっさりとした小品だが、人間の自由と信仰、権利を扱い、なかなか難しい。しかも台詞を補うかのように無言の人物のパントマイムが要求され、幻影まで登場するのだから、これは演出の腕の見せ所。さて、学生たちはこれをどのように舞台に掛けるのか?

2010年10月11日月曜日

Bastan las que por vos tengo lloradas

イルダ・イダルゴ『愛その他の悪霊について』(コスタリカ、コロンビア、2009/オンリー・ハーツ、2010)

『文學界』10月号で田村さと子がそのカルタヘナ映画祭での上映を見ずにその地を後にしたと報告していたガブリエル・ガルシア=マルケス原作の映画化作品。DVDになって発売された。

18世紀のカルタヘナ・デ・ラス・インディアスで貴族の娘シエルバ・マリア(エリサ・トリアナ)が犬に噛まれ、狂犬病の疑いをかけられて修道院に収監され、その後見を預かった若い神父カエタノ・デラウラ(パブロ・デルキ)と恋に落ちるが、狂犬病の嫌疑がかけられていたはずの少女には、いつの間にか悪魔払いが強要され、追い込まれていくというストーリーの、中編というほどの短い作品ながら、様々な方向性の示唆に富む実に豊かな小説が原作。DVDジャケットの宣伝によれば、これを観た原作者は「この作品には原作のエッセンスがある」と言ったとか。

「原作のエッセンス」のひとつは、なんと言ってもカルタヘナの街並み。雨に煙る沿岸地帯のこの街の雰囲気は、湿気でむせかえるようなカリブのそれを確かに伝えていると思う。

カエターノがヴァチカンで図書館つきになることを夢みるビブリオフィルであるところから、この小説では様々な書物への言及、そこからの引用などが散見されるのだが、原作を読んだときにはたいして記憶に残らなかったのに、こうして映像で再現されると改めてその重要さに気づかされたのが、表題に挙げたガルシラソの詩からの引用。「汝のために流せし涙にて充分なり」と旦敬介は雅やかに訳しているが、これを発しながらカエターのがシエルバ・マリアを愛撫するシーンなどは官能的。原作を普通の速さで読んでいたのでは不覚にも気づかなかったな。なるほど涙は官能の表現なのだと、改めて気づかせてくれる。

最初の方で、朗読するカエターノを司祭のドン・トリビオがたしなめるシーンがある。「そんな風に読んだんではアリストテレスが台無しだ」とかなんとか言いながら。これに相当する記述なりシーンなりが原作にあったかどうか、覚えていないが(確かめておこう)、とても印象に残るシーン。これもまたひとつの「原作のエッセンス」だろう。

2010年10月9日土曜日

続・祝! ノーベル賞

取り寄せたまま観ていないDVDがいくつかあるので、観なきゃなという気になり、まずは、この時期なだけにこれを。

フランシスコ・ロンバルディ監督『囚われの女たち』(ペルー、1999/パイオニアLDC)
「我々に奉仕せよ!」とか「復讐か、恋か。美しい奴隷の誘惑」、「緊迫のエロティック・サスペンス」などと謳っているが、これはマリオ・バルガス=リョサ『パンタレオン大尉と女たち』Pantaleón y las visitadoras(1973)の映画化作品。

ペルーのアマソニーア地方で若くて性欲を持てあました兵士たちが地元の女性たちをレイプする事件が相次ぎ、頭を悩ませた軍が、士官学校を主席で卒業した真面目な軍人パンタレオン・パントハに命じて、兵士たちの性欲処理の任務をさせる。民間人のふりして娼婦たちを派遣するという任務だ。真面目すぎるパンタレオンは、あまりにもうまくやってのけたものだから、やがて地元のラジオ局の告発を受けることとなり、なにしろ秘密の任務なので軍も知らんぷりを決め込み、パンタレオンは追い詰められていくという話。原作は皮肉とユーモアのきいた短めの長編小説だ。それの映画化作品。

まあイサベル・アジェンデの『愛と影について』の映画化作品に『愛の奴隷』などというタイトルをつけた前科のあるパイオニアLDCのこと、誤解をわざと狙っているかのようなコピーのつけ方には、今は目くじらは立てるまい。画質の処理なども、もう少し丁寧にやっていいんじゃないか、という文句も言うまい。お手軽にソフト化したかったのだろう。しかし、原題にもあるvisitadoraを英語風に「ビジター」と訳してしまう字幕翻訳種市譲二の語感はどうかと思うな。いや、きっと、実際、シナリオの英訳から翻訳は作られたのだろう。でもそうであったとしても、「ビジター」はない。サッカー・チームじゃないんだから。せめて「慰安婦」くらいの訳語は使ってほしいもの。

さて、原作の原書も翻訳(高見英一訳、新潮社、1986)も手もとにない。研究室だ。読んだのもだいぶ前の話。だから、正確に確認はできないけれども、脚色は思い切ってなされており、好感が持てる。原書は73年で、パンタレオンは報告書をタイプライターで書いているはずだが、1999年作品の映画ではPCのワープロソフトを使っている。携帯電話も登場し、現代的だ。慰安婦ビジネスの背後にパンタレオンがいることを突き止めて告発するのがラジオのパーソナリティであることは変わりないけれども、人気の娼婦の葬儀をTVが中継している。TVが加わることによってパンタレオンはTV以後の時代なりの追い詰められ方で立場をなくしていく。

もちろん、70年くらいの話だとして歴史的に描写することもできただろうが、アクチュアルであることを選択したのだろう。であればやっぱり、もう少し丁寧に画像の処理をしてほしかったとも思う。パイオニアLDCに願うべきなのか、発売のクロックワークスか?

2010年10月7日木曜日

祝! ノーベル賞受賞

授業が始まってちょうど1週間。くたくたになって帰宅し、PCを開くと、ツィッターのTLに不穏な動きが。

むっ?

マリオ・バルガス=リョサのノーベル賞受賞が決まったとのことだった。

1960年代には「ラテンアメリカ文学」のブームがあった。ブームとは結局のところ、バルガス=リョサの鮮烈なデビュー、フエンテスの暗躍、ガルシア=マルケスの爆発的売れ行き、だった。作家の側だけを見れば、そうなる。たぶん。バルガス=リョサはブームの片翼だった。『ラテンアメリカ文学の〈ブーム〉』という本を書いたホセ・ドノソによれば、ブームはキューバでの言論弾圧(「パディーリャ事件」として知られる)をもとに起こったイデオロギーの分裂だとのことだが、ガボはカストロの側につき、バルガス=リョサはカストロへの公開書簡を送り、このふたりの仲にも亀裂が入った。最後はバルガス=リョサがガルシア=マルケスを殴ったというのは、有名なエピソード。その意味でも、ふたりは両翼だった。

一方、作風も、一見、ふたりは双璧をなす。……のかな? 奇想天外のガルシア=マルケス(これも本当は違うといいたいが)に対し、バルガス=リョサは複雑な仕掛けをほどこすけど、それを解きほぐせば実にリアリスト風で、わかりやすい(そしてまた、これも表面的、部分的に過ぎる印象)。

『緑の家』が岩波文庫から再版を果たしたばかりだ。年明けには大作『チボの狂宴』も翻訳が出る。それなりに遇されているのだけど、しかし、やはりガルシア=マルケスのひとり勝ちの観が強い状況下では、過小評価されているような気がしないでもない、そんな存在だった。

もちろん、ガルシア=マルケスも面白いが、バルガス=リョサも面白い。『密林の語り部』とか『パンタレオン大尉と女たち』などは、とりわけぼくは好きなのだけどな。

ぼくが望むことは、たぶん、絶版になっているこれらの翻訳が再版されることと、まだ翻訳されていない作品がひとつでも多く翻訳されること。

2010年10月4日月曜日

そう書かせているのは誰だ?

ぼくはスペイン語を教えている。スペイン語専攻の学生たちに対する読解の授業を担当している。ついでに言えば、今年は副専攻語と呼ばれる、ようするに第2外国語のスペイン語も担当している。で、気になることがある。

「私たちはその先生に質問をする」
「その喫茶店に入ろう」

こうした訳語が少なからずある。それぞれ、

Hacemos unas preguntas al profesor.
Vamos a entrar en la cafetería.

の訳。うーむ、と唸ってしまう。つまり定冠詞(el, la, los, las)のある単語に機械的に「その」をつけて訳語をつくる学生がいるのだ。少なからず。

きっとこれが、悪名高い「受験英語」の弊害なのだろうなと予想する。定冠詞に何らかの特定性というか有徵性を認め、それを示すために「その」をつけるというわけだ。

でもねえ、有徵であるならば、何もかも「その」で済ませるのはあまりにも芸がない。それが第一点。そしてなにより、スペイン語においては定冠詞なんて、たんなる添え物なのだよな。というのが第二点。そのことは何度も口を酸っぱくして言っているつもりなんだけどな。

「その」なんてつけるな。君の人生の悲しみが、その「その」一点に集中しているのだぞ。

以上は前期の試験を見直して、改めての感想。

2010年10月3日日曜日

まだまだ続くサンデル先生人気

先日書いたように、アクセスが一番多いのはサンデル先生の名を出した記事だったのだ。今日のTV欄にも先生来日時の東大での講義の様子を番組にしたものがあると書いてあった。しかしこれは、先週の日曜の夜に放送したものを少し編集したものだった。確認する限りそう見受けられた。

ところで、この人気、何が根底にあるのだろう? サンデル自身は、政治から哲学的基盤が抜け落ちがちになり(経済主導になり)、経済は脱政治化している現況(グローバリゼーション)への反省として政治哲学の復権を考えているような節が見られる。それはおおいに慶賀すべきこと。どんどんやっとくれ。受け取る側、つまり日本の読者や、こうした催しに駆けつける人は、何を求めているのだろう? イントロダクションとして流された参加者たちの発言は、大学の授業としてこうした対話型のものが成り立つことへの驚きを口にしているものが多いように思った。そうした意見が多くなかったとしても、NHKはそう思わせるような編集をしていた。

確認しておかなければならないことがある。ハーヴァード側(あるいはアメリカ合衆国の大学全般の側)の事情と日本の大学の事情だ。

ハーヴァード側の事情:あれがマイケル・サンデルの開く「正義」の授業の全貌ではないということ。あの講義の授業の他にリーディング・アサインメントなどがあって、受講者たちは事前にリーダーという資料集の当該の箇所を読んでくることが義務づけられている(それを他の時間にチェックされている)こと。議論の根底にあるテクストを共通の基盤として持っているのだ。講義とはつまり、学生たちの読書の理解を助けるもの。

日本の事情:少なくともあの東大での講義に集まった者のうち、学生たちは、例外的な存在だと考えた方がいいということ。彼らにあらかじめリーダーが与えられていたかどうかは知らない。たぶん、みんな、あるいは多くが、サンデルの本は読んでいる、でもこの講義のために指定されたテクストはなかったのだろう。内容から判断するにそう予想される。ともかく、放送に乗る発言をした者たちのうち学生と思われる人々は、例外的な存在だ。帰国子女らしい者と、そうではなく勉強によって英語力を獲得したのだろうが、だとすればかなりできる方だと言っていい者を合わせた割合が多い(全員が東大生だとも思わないが)。そして、そういう人たちは、確かに発言するものなのだ。

次なる事情。日本の大学のほとんどは、ひとつの授業が週1回きりで、1回90分(がほとんど。今でも東大の本郷は100分か110分のはずだが)。それを学生たちは週に十数コマも取るものだから、すべての授業で毎回何ページも何十ページも指定して読ませると、とても体が持たない。いきおい、個々の授業では、その学にとって重要なテクストを学生に読ませるのでなく、それを教師が解説だけする、という形になってしまう。場合によっては、重要なテクストを解説した教科書を解説する、という授業になることもある。

少なくともぼくが学生だったころの大学の授業は、そんな感じだった(だからぼくはある日、これならほとんどの授業は、サボって自分で本を読んだ方が話が早い、と思った)。今もこの事情はそれほど変わっていないとは思う。でも、最近では、同業者のシラバスなどを読んでいると、読ませたり議論させたり、といったことを取り入れる先生たちは少なからずいる。大勢の面前での議論は苦手だけど、グループ単位でディスカッションさせたり、あるいは議論ではなく発表をさせたりすると、学生たちも下手なりにやってはくれる。問題は、だから、それをすべての授業でやると学生たちの体がもたないということだ。

本当は、講義一辺倒の授業を補うのが演習とかゼミとかいうものなのかもしれないのだけど、……うむ、この話をすると、ますます事情は複雑になってくるのだろうな。そんなことをしている時間は今はなく、ぼくはその自分のつまらないかもしれない授業の準備に粛々と取りかからねば……

2010年10月1日金曜日

統計

今日は都民の日。映画の日。授業の開始日。大抵の日本企業の内定式の日。

……内定式? なんだそれは? 日本企業の求人活動における横柄さと滑稽さは!…… 入社式があるというのに、その前に内定式などと囲い込み以外の何ものでもない儀式を執り行うなんざ、内定者に逃げられまいと必死な下心を隠せない。そのくせ、夕方のTVニュースで流れていたどこぞの大企業の社長だか重役だかは、「狭き門を潜り抜けてきたのだから、さぞかし自信になっただろう」云々などと、ずいぶんと偉そう。何かを思い出させるぜ。

10月1日は、今年はさらに国勢調査の開始日。国もすなる統計てふものを、国民たるぼくもしてみようか。このブロガーには来訪者の数を記すカウンターのようなものがない。その代わり、きづいたら、ログイン画面に「統計」のタブがあり、そこにログ解析の結果が出るようになった。日、週、月、「全期間」の来訪者数、ページ(記事)ごとの閲覧者数、トラフィックソース等々が示される。

たとえば、7月から始まったらしいこのサービス、その月から3ヶ月、ぼくのブログにはほぼ毎月3.600-3,900人くらいの来訪者がある。多くはぼくのサイトのリンクやグーグルなどの検索エンジン、ツイッターなどをたどって来ている。日本のみならず、インドネシア、フランス、イギリス、スペイン、北米3国、コロンビア、などからアクセスがある。3ヶ月で最も多く参照されたページ(記事)は5月30日の「サンデル先生に訊いてみよう」。これが199回、これだけをめがけて来た人に見られている。2位、3位はいずれも映画の話題。9月20日の「家族の物語」(コッポラ『テトロ』のレビュー)、127回。『シルビアのいる街で』のレビューが第3位の121。面白いところでは、今日になって1度だけ6月20日「そんな中」が参照されている。

ふむ。マイケル・サンデルはやはり話題なのだなと、改めて実感される。ぼくは彼の著作に関して、特に大したことを書いたわけでもないのだが。そしてまた映画も強い。それともこれは、ある人のツイッターからやって来た人々と思われるからなのか? いずれにしろこの程度の「統計」上の数字など、ほとんど限りなく無意味に近い。これが最高199人ではなく、19,999でも、おそらく、大差ない。たとえひとりでもいい、誰かの心の中に何らかの足跡を残さないなら、閲覧者が何万人でも何百万人でも虚しいだけだ。誰かの心の中に残した足跡は、これだけの通り一遍の統計の数字には表れない。

そして最大の問題は、ぼくのこんな文章など、きっと誰の心にも何の足跡も残さないだろうということ。この記事前半を読んで、内定式などというしきたりを廃止する企業は1社としてない。このことは請け合える。