2017年11月20日月曜日

人はみな詩人を目指す

アレハンドロ・ホドロフスキー『エンドレス・ポエトリー』(フランス、チリ、日本、2016)

『リアリティのダンス』(チリ、フランス、2013)の続篇とも言うべき自伝的作品。


トコピージャを後にするホドロフスキー親子のうち母親のサラ(パメラ・フローレス)が台詞を歌い、あからさまな書き割りを伴う船旅とサンティアーゴの街の様子が映し出された、そこはもうホドロフスキーの世界だ。

医者になれと強要する父親ハイメ(ブロンティス・ホドロフスキー)に反発して家を出たアレハンドロ(イェレミアス・ハースコビッツ→アダン・ホドロフスキー)は詩人になろうとし、ニカノール・パラの「ヘビ女」に想を与えた女ステラ(パメラ・フローレス)に出会い、パラ本人(フェリペ・リーオス)に出会い、エンリケ・リン(レアンドロ・タープ)に出会い……と詩人として自己成形していく。

ロベルト・ボラーニョの短篇に「ダンス・カード」というのがある。ボラーニョの分身とおぼしき人物が知り合った詩人たち芸術家たちとの思い出を綴ったものだ。それのホドロフスキー版、とでも言えばいいだろうか?

実際、ボラーニョを知った今となっては、ホドロフスキーの世界が実によくわかる。アレハンドロとエンリケが道をまっすぐ進むと決めてトラックの上に登り、見知らぬ他人の家を突っ切って行くというシークエンスがある。そしてまた、ふたりがどこかの講堂で立派な詩人として紹介されながら悪態に満ちた詩文を読み、肉と卵を聴衆に投げつけるシーン。ああいったことを、おそらく、ボラーニョはメキシコで仲間たちとやっていたのだ。『野生の探偵たち』のウリセス・リマのモデルとなったカルロス・サンティアーゴは目をつむって横断歩道を渡るという奇癖を持ち、そのため二度、交通事故に遭い、二度目に死んだのだった。

その破壊的行動を伴うロマンティックなまでの詩への憧憬をボラーニョとホドロフスキーは分け合っているのだ。

ホドロフスキー=ボラーニョ+サーカス+カーニヴァル

といったところだろうか。この自伝シリーズは三部作を考えていて、次回作でパリを経由してメキシコに到達するというのだが、そこにはきっと若きボラーニョも顔を出すに違いない。


ところで、ホドロフスキーにはやはり強烈なエディプス・コンプレックスのようなものがあるはずで、この作品でも父親のくびきから逃れる自分を描いているのだが、そのアレハンドロが息子のブロンティスやアダンを動員し、彼らを裸にしたり髪を剃らせたりして、エディプス的な意味合いではないかもしれないものの父親の存在感と影とをこれ見よがしに彼ら息子たちに落としているのは皮肉なものだとも思うのである。
写真はイメージ。先日の「ディエゴ・リベラの時代」展の図録が届いた!