2017年9月21日木曜日

メキシコを痛む

留学生たちと食事して飲んで、ぐっすり寝ている間にメキシコでは大地震があったようだ。M 7.1。今朝の『朝日』朝刊の時点で死者が225人。数日前のオアハカ、チアパスと違い、今回は首都も直撃した。奇しくも1985年の大地震と同じ9月19日のことだった。

レベッカ・ソルニット『災害ユートピア』では85年の地震のことが扱われている。邦訳のメキシコの地名や人名は惨憺たるもので、スペイン語(世界)など、すぐそこにあるのに、その程度の調べ物もしないのはいかがなものかと、ほとほといやになったけれども、その表記の問題は今は措いておこう。『災害ユートピア』ではメキシコのことが扱われている。

ノノアルコ=トラテロルコ住宅、つまりトラテロルコの三文化広場を取り囲む高層アパート群の一棟がまるごとひしゃげたこと、治安が乱れるのを恐れて投入された警官隊や軍が逆に略奪に走ったこと、一般の人々は文字どおりの「地獄に立ち上げられた楽園」(これが原題の直訳)を実現してみせたことが紹介される。とりわけスラム街テピートの住民たちの自衛は特筆に値する、と。

メキシコ当局はこれを機にテピートから低所得者層を追い出し、再開発しようと考え、地上げまがいの工作をした。住民たちの組合は地震の前からNPO組織と共同で自分たちの住む長屋のような共同住宅(vecindad)の改修を考えていた。住民を追い出した上での地上げによる再開発ではなく、住民たちに益する下からの再開発が実現した。

地震に乗じて政府が住民を追い出し再開発でもしようものなら、それはたとえばナオミ・クラインの『ショックドクトリン』(惨事便乗型資本主義)というものだろう。僕らは3.11においてこのショックドクトリンを経験し、独裁者を許してしまうことになるのだが、メキシコはそれを阻んだのだ。

85年を思い出し、祈るしかない。

95年の神戸を経験した安藤哲行はその経験をホセ・エミリオ・パチェーコの85年についての詩とともに思い出している(『現代ラテンアメリカ文学併走』)。安藤はパチェーコの詩で95年を乗りこえたのだ。

85年のメキシコは僕らの心の支えともなったのだ。

きっとメキシコはそのように惨事を乗り越える。そう思うことにしよう。

写真は青山南『60歳からの外国語修行――メキシコに学ぶ』(岩波新書、2017)

青山さんは60になってから早稲田から研究休暇をもらい、グワダラハラ大学でスペイン語を学んだ。その後、オアハカにも行った。その時のメキシコの学習体験記。


メキシコから僕らは学ぶことだってできる。