2017年5月6日土曜日

腹立つことのみ多かりき

ABの馬鹿めが赤ら顔で(連休で浮かれて飲んだ後なのだろう)、9条に自衛隊を明記するだの、教育を無償化するだのと打ち上げたものだから、腹が立って、こんなツイートをした。


連休を利用して兄夫婦を訪れていた母と会ったばかりなので、記憶が上書きされ、僕の立腹の度合いはますます大きいのだ。

もうあちこちで書いたかもしれないが、わが家は貧しかった。生まれた時に父はなく、母ひとり祖母ひとり、子ふたりの家庭は、幸い持ち家だったから雨露はしのげたけれども、大島紬の織工では大した金も稼げない。母はだいぶ熟練の織工で、超人的な生産力を誇ったけれども(朝8時前から夜8時過ぎまで働いてのこと)、それでも大した収入にはならない。子供たちふたり(ひとりは、つまり僕だが)は、地域的特性から、高校に上がると家を出て下宿したり学校の寮に入ったりする人生を辿った。大学ならばなおのこと、家から通えるはずもない。これはある種、避けられない条件だ。そうした条件下でその子供ふたりを高校に、大学にやるのは、かなりきつい。

僕は高校から大学院博士課程まで、日本育英会(当時)の奨学金を借りた(借りたのだ。もらったのではない。つまり、語の厳密な定義から言えば奨学金ではない。ローンだ。手続き上の問題で返還免除は半分は得られなかったから、ますます、これはローンだった)。そして、高校から大学院博士課程まで入学金と授業料の免除を受けていた(院入試に失敗して4年を2回繰り返したその2回目だけは例外。月額分納だった)。全額免除が受けられるほどにわが家は貧しかったのだ。

授業料免除のような特権が得られてもなお、生活は苦しかった。奨学金は、大学の学部で21,000だっただろうか? 家賃が17,000円だったから、これを払うと僅かな額しか残らない。家から多額に送ってもらえるわけではないので、バイト三昧だった。自身の生活を悲惨だとか辛いとか考えたことはないけれども、いや、むしろ大学時代は楽しかったけれども、常に腹は減っていたし、欠乏感を拭い去ることはできなかった。

今、大学の授業料は僕のころの2倍くらいになっている。学生向けの下宿といえども17,000円なんてのはめったにあるまい。貸与であるとしても奨学金は家賃を払ってなお少しでも余るほどの額があるのか? 教師として務めて得た情報から判断するに、授業料も全額免除を得られほどの学生はそんなに多くはない。半額免除ですら必要としている人に比べれば足りない。「経済的理由」から休学したり退学したりする学生は、教授会のたびに複数、承認されている。僕ほどの底辺の底辺の貧困層でなくても、国立大学は、国立大学ですら、通うのに金がかかる、貧しい層には近づきがたい存在だ。

学生たちの経済状況の実態をきちんと調査しさえすれば、加えて、経済的理由から進学を断念する高校生の実態も調査すれば、この国の大学は学生の確保の面でも危機に瀕していることは明らかになるだろう。職業訓練だのグローバル人材だのと寝ぼけたことを言う前に、憲法に保障された教育を受ける権利を国民に享受してもらうために、無償で高等教育を受けられるようにするのが筋というものだ。


必修の単位すら取得していないはずなのに大学を卒業したとかいうABの馬鹿めには、しかし、わからない道理なのだろうか? 自分の提案がある種の人々に対する侮辱であることなど気づきもしないのだろうか?