2017年5月22日月曜日

何が「縮小経済を生きる」だ!

と、表題のようにツッコミを入れてみる(アイロニー)。

1985年以来、日記や備忘録、授業のノート、読書ノート等々、あらゆることを1冊のノートで済ませてきたのは、きっかけがあってのこと。ひとつはサルトルの戦中日記『奇妙な戦争』を読んだこと。あんなふうにノートを取ろう思ったのだ。2つ目がクリスマス・プレゼントにローラー(水性ボールペン)をもらったこと。

で、そのうち使うのは万年筆が主になり、ノートはモレスキンのものが主になった。が、モレスキンはローラーだと裏染みが多い。ふだんは万年筆なのだが、キャップを開けたまま放っておけるボールペンは読書メモなどには便利だからボールペンを使いたいところ。そんなわけで最近は油性ボールペンも使うようになった。

そして最近手に入れたボールペンが、これ。三菱のジェットストリームの芯を利用する、とある軸だけを作るメーカーの逸品。

どうだ!

それから、これ。

コンヴァースのジャック・パーセル。

僕は学生の頃からこの靴を、一足履きつぶすと買い換えて、というようにして、ほぼ絶え間なく持っている。しばらく白のものを履いていたのだが、ソールに穴が開いているのを発見したので、今回、久しぶりにネイヴィーのものを買ってみた。

以前、NHKのラジオ番組「英語で読む村上春樹」で、ある短篇内で語り手がテニス・シューズを履いた、という描写を捉え、当時解説を務めていた小澤英実さんが、このジャック・パーセルなど、テニス・シューズの流行りのことを書いていた。で、その番組にゲストとして呼ばれた時に、それを履いていこうかと思っていたのだが、当日、失念してしまった。

……まあ、どうでもいい話。


ともかく、これからこれを履いて出かけるのであった。

2017年5月21日日曜日

「勉強とは、自己破壊である」とギャル男風哲学者は言った

こんな催し(リンク)をやるから現代文芸論の学生にも告知してくれと頼まれ、快諾し、ついでに、僕も読んで、行けるようだったら行く、と言った手前、読んだのだった。

千葉雅也『勉強の哲学――来たるべきバカのために』(文藝春秋、2017)

一応、大学生向けに本当に勉強の仕方を説く体裁ではあるものの、巻末の「補論」にドゥルーズ/ガタリの「器官なき身体」論やマゾッホ論などの、いかにもドゥルージアン的前提を披露して手の内を明かしている。これは、逆に言うと、ワンステップ上の上級者学生に向けての示唆ということだろうか。

けれども、この本の最大のインパクトは「勉強とは、自己破壊である」という冒頭のテーゼによって言語を媒介として自己を、環境を解放する知的マゾヒストの快感を伝えているところだろうか。さらにはアイロニーとユーモアをツッコミとボケという、すっかり一般化したお笑い芸用語でたとえ、アイロニーからユーモアへの折り返しを推奨する。それを中断、有限化によってしめる論法はオーソドックスなようでいて、他のいくつかのテーゼがいちいち刺激的に響くのだから面白い。「難しい本を読むのが難しいのは、無理に納得しようと思って読むからである」とか、「アイデアを出すために書く。アイデアができてから書くのではない」とか。

ノートのとり方や本の読み方、「ある概念や考え方が「誰のどの文献によれば」なのかを意識し、すぐ言えるように心がけてください」などのプラクティカルな指南を含むのだが、なんだか画期的に見えるから不思議だ。

一緒に買ったのは、

松崎久純『大学生のための速読法――読むことのつらさから解放される』(慶應義塾大学出版会、2017)

こうしたものを買ってみるのも、ひとえに学生にむけて論文や本の読み方、書き方などをどう伝えればいいか、との思いからだ。

「プレビュー」「オーバービュー」「スキミング1」「同2」「スピードリーディング」「レビュー」の6段階で本の内容を把握する仕方を説く本ではあるが、こうした「速読」の指南書がことごとく速読できちゃうのはなぜだろう? 答えは、この本の中に書いてある。いや、すべての読書指南書の中に書いてある。それはまた勉強法の本にも書いてある。問題はそれを「スキミング1、2」と呼ぶか、「スキャニングとスキミング」と呼ぶか、「α読みとβ読み」と呼ぶかの違いだ(少しずつずれているけど)。


僕としては、読書の(学術的)指南書は

アドラー&ドーレン『本を読む本』外山滋比古、槇未知子訳(講談社学術文庫、1997)

にとどめを刺すかな、と思うのだが。どうだろう? 

2017年5月19日金曜日

すてきなひと言:「来ました」

いとうせいこう『どんぶらこ』(河出書房新社、2017)

これの書評をあるところに書いた。原稿は今し方送付したばかりなので、まだ読めない。

書評というのは常にそうしたものだが、分量が短い、この小説についてはもっと言いたいぞと思うことしばしばであった。

肝心の書評が活字になるのはまだ先の話なので、あまり本質的なことは書けない。重複のないように、でも言えなかったことを言うにはどうすればいいか? 

僕はメモ(カード)を取っていたのだった。で、ともかく、まったく書評に使わなかったカードの中から、いくつか面白いものをあげておこう。引用とその説明だけだ。ここから作品の面白さを想像していただきたい。

1) 書誌情報
いとうせいこう 2017:『どんぶらこ』(河出書房新社) 研究室蔵
「どんぶらこ」7-90  初出:『文藝』2016年春号
「蛾」91-158     初出:『三田文学』2014年春季号
「犬小屋」159-234   初出:『三田文学』2014年夏季号
 掲載順に注意。冒頭の「どんぶらこ」が最後に書かれている。


2) 自殺を看取る
 這って移動してきた母は、救急車を呼べと私のすねを叩いたが、私は(自殺した父が:引用者注)しっかり死んでからだと思った。もし中途半端に生き延びてしまったら、私たち全員の明日がないのだった。三人とも生活保護を受けることは確実で、それは近所の手前、絶対あってはならないことだった。なんとかそこを食い止めるためにこそ、私はアルバイトに追われていた。父もそのために縄をなったはずだった。(72


3) 不老不死
「Sちゃん」の父。「自分が不老不死かと思うぞやい。不老不死ちゅっても衰えちまって動けねえで点滴の針を腕に入れられてベッドへ横になって、トイレへ生きたくても動くと怒られて磔にあったようでどうしようもねえだよ。(86
 (略)こんな不老不死なら要らねえさ、俺は要らねえだよ、Sちゃん、人間は簡単に絶滅出来ねえだぞ、苦しみの時間は長(ルビ:なげ)えで、お前一代の言葉なんかじゃ届かねえほどあるで、ほいで、そのうちお前も必ずこうなるだでな、(略 86)これはお前だで。(87
 この逆説! 

4) 魂の永続
 作業場での会話の前日。お盆でその地方の習慣に従い、藁束を燃やしながらゲント伯父が言ったこと。
「(略)将来Sちゃに息子でも娘でも出来りゃあ、ここへ帰(ルビ:けえ)って来てもれえてえだが。あめさんの孫にもひ孫にも、生まれてこねえ子供にだって帰って来てもらいてえと俺は思う」
「生まれてこなくても?」
「そりゃそうせ。血はつながってるだで。伯父さんの焚いた火を見て、うちへもう来てるかもしれねえぞやい。Sちゃのずっとあとのホトケサマが、ぞろぞろと」(152 太字下線は原文の傍点)

5) 来ました
 トランスジェンダーの美術家サナさんが「私」とともに「私」の母方の伯母の戦死した夫の名が刻まれた戦没者の碑の前で言ったすてきなひと言。
そして事情を知りもしないのに、来ましたよと言った。空の上にカモメのような白い鳥が飛んでいた。私はサナさんを真似て座り込み、両肘をアスファルトにつけて胸の前で十字を切った。来ましたよ、と私も心の中で言った。だからなんだ、今頃になってと遠くから責められれば答えようはなかった。目を閉じた。鳥が悲鳴のような声をあげる中、風がゆるやかに吹いていた。(136


どうだい? 面白そうだろう?

読もうよ。

2017年5月18日木曜日

ガエルが国境の砂漠に迷うのは二度目だ


米僕国境で不法入国したグループが、合衆国人で、そうした入国者を殺すことに喜びを感じて銃殺しまくるサム(ジェフリー・ディーン・モーガン)の魔手からひたすら逃げる話。こうしたサヴァイヴァルもののお決まりのパターンを踏襲し、遅れを取った者が助かり、助かった者の中からひとり、またひとりと脱落していくという内容なのだが、ソノラ砂漠だかチワワ砂漠だかのヒリヒリとする環境の中でチェイスが繰り広げられると、否応なしに手に汗を握ることになる。

最後の対決の処理は、僕は好きだ。


このエントリーのタイトルの意味は、ゴンサレス=イニャリトゥの『バベル』のこと。『ネルーダ』では雪原に消えたのだったが。

2017年5月9日火曜日

おふざけはどこまで許されるか? 

まあともかく、こんなふうに(リンク)『方法異説』の翻訳の悪さに腹を立てているわけだが、今回は、そうではなくて(相変わらず手抜きは感じられるものの、僕だって何かを悪し様にばかり言うのはつらい)、純粋におかしいと思った箇所。「おかしい」というのは、「怪しい」の意味ではなく、「可笑しい」、つまり笑ってしまった例だ。

竜巻による突風――地元民の言う「ヒラヒラ」――(56)

という表現があった。僕の語感では「ヒラヒラ」は突風を表現するにしてはのどかだ。いったい、何の訳語だろう? 確かめた。

la ventolera de tromba --la "gira-gira" como decían los lugareños-- 

「ヒラヒラ」に相当するのは "gira-gira" だ。giraは動詞girarの現在形・三人称単数の活用。もしくは二人称に対する命令形。girarは「曲がる」とか「回る」の意味なので、きっと竜巻trombaを表す俗語だろう。僕なら「ぐるんぐるん」とか「回れ回れ」とでも訳すだろうか? 

しかして、この "gira-gira" 、スペイン語に即して音表記するなら、「ヒラヒラ」だ。つまり、音が同一だといっておふざけで「ヒラヒラ」としているのだ。

これに賛同する気はさらさらないが、かといって批判したり否定したりする気もない。ただ笑っただけだ。そして考えさせられた。

僕はかつてこの種の悪ふざけを試みたことがある。

スペイン語の敬称にDonというのがある。「ドン」。男性の個人名につける敬称だ。ドン・フアンやらドン・キホーテの「ドン」。

ドン・フアンやドン・キホーテはもうほとんど「ドン」とセットで認識されているので、いまさら変えるつもりはないが、僕はできるだけこの「ドン」を「ドン」と表記したくない。たとえば、Don Joaquín を「ドン・ホアキン」と書きたくない。大抵は「ホアキンさん」などと書く。

一度、ある小説を訳しているとき、ちょっとふざけた文章で出てきたDon Joaquínを「ホアキンどん」と訳してみた。「どん」だ。西郷どん(「せごどん」と読め)の「どん」。「どの」が撥音便化した「どん」。

編集者には即座に却下された。

僕としてもどれくらいの悪ふざけが通用するか試したかったという程度で、固執する気もなかったので、「へい。わかりやした。「ホアキンさん」で行きます」となったわけだが。

たとえば、メキシコにhuaracheというものがある。先住民由来のサンダルだ。他の国にはない単語だ。読みは「ワラッチェ」「ワラーチェ」「ワラチェ」等々。きっと僕はこれが出てきたら「わらじ」と訳してしまうと思う(そして編集者との攻防が……?)。

幸い、僕はまだhuaracheの出てくる本を訳したことはない。


さて、僕は問いかけたいのだ。音が同一で、意味は少しずれるかもしれない語を、音に合わせてさも日本語の単語のように表記することは、どこまで許されるのだろうか? 

(追記:書き終えてずっと経ってから思いついたこと。あ、そうか、「ヒラヒラ」って日本語のオノマトペでなく、"gira-gira" の音だけを転記した、外来語(?)としての表記だったのだろうか? だとしたら、以上の話はまったくの無駄になる。そして、もしそうだとしたら、この部分の訳は、やはり良くないと僕は言いたい。でもなあ、僕はともかく、これを読んだ時、「ヒラヒラ」は日本語だと思ったのだよ……)

2017年5月8日月曜日

映画は黄金週間後に

以前書いたような理由(リンク)から、月曜日は『方法異説』の細部をあまりにもないがしろにした手抜き翻訳に腹を立てることになる。

今日もだんだん腹が立ってきたので、頭を冷やすために映画に行ってきた。


ニューヨークからハリウッドにやって来たボブ(ジェシー・アイゼンバーグ)が、叔父で大物エージェントのフィル(スティーヴ・カレル)の下で働き始める。秘書のヴォニーことヴェロニカ(クリステン・スチュワート)に街を案内してもらったことから恋に落ちるが、ヴェロニカには恋人がいる。その相手というのは、実はフィル。フィルは一旦は離婚を決意しながら、やはり踏み切れずに別離。ヴォニーはボブとつき合うことに。が、フィルがやはり離婚し、ボブにも関係が知られてしまったヴォニーは結局、フィルを選ぶ。

傷心のままニューヨークに戻り、ギャングの兄ベン(コリー・ストール)が始めたナイトクラブに勤め、今やオーナーとなったボブは同名の別のヴェロニカ(ブレイク・ライヴリー)と知り合って結婚、子どもまで儲ける。そこにフィルがヴォニーを連れて商用でやって来る……

もっとも泣けるのは、ヴォニーがボブの妻が自分と同名だと知ったときに、小声で「すてき」と呟いたことだ。

ウディ・アレンの登場人物たちは実に簡単に恋に落ち、軽はずみに恋を失う。そしてずっとそのことを後悔して生きる。同じ後悔を、仮にも昔愛した相手が分かち合っているのだと気づくのが、同名というサイン。後悔を分かち合うということが愛の永続を保証していると言いたげに、恋人たちは微笑むのだ。

クリステン・スチュワートは美しい。いつものアレン映画のヒロイン同様、決して僕の好みではない(少なくとも、気にしたことのない相手)のに、実に魅力的に見え、恋に落ちそうになるから不思議だ。他のウディ・アレンの作品にも通じることだけれども、派手なアクションもセクシーな濡れ場もなく、そんなものがなくとも、たとえばセントラル・バークの池にかかる橋の上や砂浜の岩陰でのキスシーンひとつが、充分に官能的でスペクタキュラーであるということを証明してくれる映画。

帰宅後、Apple Musicで映画のサントラを聴きながらこれを書いている。

ちなみに、café societyは『ランダムハウス』の定義によれば「上流階級の人が集まるナイトクラブなどの常連」の意味なのだそうだ。


ニューヨークの、ヤンキーの上流階級は、カルペンティエールによれば、どんなに気取っていても何だか似合わない奇妙な、おかしな存在なのだそうだが。

2017年5月6日土曜日

読むことの困難

立教大学のラテンアメリカ講座というところで文学の授業を持っている。土曜日だ。今日はまだ連休という人もいようが、授業があったので行ってきた。

昨日(日付の上からは今日、未明)書いたように、大学の授業料は(少なくとも国立大は)無料であるべきだと思う。大学なんて無料にして、一律18歳ではなく、何歳からでも学べるようになればいいと思う。今でも何歳からでも学べるには学べるし、ひところに比べて引退した人や子育てを終えた人なんかが学び直すという例は増えているとは思うが、それがもっともっと当たり前になればいいのだと思う。文学部など、大人なくらいがちょうどいい。

さて、大人でもなかなかクリアできないことがある。読むことの難しさだ。とりわけ、小説の冒頭を読む難しさ。

昨夜、こんな記事をツイッターで紹介した。


同意して笑ったり、これは自分だ、と言ったり、逆に、俺は最初からのめり込むからこんな気持はわからない、と言ったり、……様々な反応があった。

すべての小説(中には冒頭に世界を構築せず、読み手に負荷を与えないものもあるが、そうではなく、冒頭でまず濃密な世界構築を行うタイプの小説)に最初からのめり込むことができる人は幸いだ。僕も多くは読むのに抵抗を感じない方だとは思うけれども、それでも引っかかってなかなか先に進むことのできない小説というのがある。そんなものに出会ったとき、人はどうすればいいのか?

とりあえず、読むのをやめる。一時的か、それとも永久に。

それもひとつの手だ。単なる趣味の読書ならそれもよかろう。相性が合わないとか、今は読むべき時ではない、と考えるのだ。が、義務として(学校の課題や仕事で)読まなければならない小説というのがある。僕など、最近はそんなものが多い。そういうときには、では、どうすればいいのか? たぶん、対処法はふたつ。

1) 深く考えず、ただただ先を読み進む。

2) メモをとる。

1)の場合でも、読み進むうちに思い出すべきときがくれば、意識化されていなかった情報が引きずり出されて思い出されるものだ。だから、全然気にすることなく、読み進めよ……以前はそう思っていたのだが、近年は世界へのアタッチメントを失いつつあるのか、なかなか思い出せないことがある。その場合には読み返す(一度、もしくは何度も)ことを覚悟していればいい。あるいは何かわからないことがたくさん残ることになっても気にしない、という態度でいれば。

2)の場合、何でもいい。人の名でも地名でも一般名詞でもわからない漢字でも。ともかく、充分なスペースを空けて書いておく。メモ帳の1枚に1項目というのでもいい。書いておくのだ。読み進むうちにその語についての新たな情報が加わる(ことがある)。そしたらその語の横にまたメモしておけばいい。やがて、重要な語や名前には情報がどんどん付加され、ついには小説が描いている仕方とは異なる仕方で世界が現れてくる。だから、できればこのやり方を勧める。

しかし、小説というのは他の書物と違って読むのに時間がかかるものだ。いつもメモが取れる状態で読むとは限らない。電車のなかで立ったまま読むかもしれない。電車を降りてゆったりとお茶でも飲みながら読むこともあるかもしれない。だから現実には1)と2)の混合で臨むことが多いのだろう。

伊藤聡さんがかつて、ご自身のツイッターで、15分ずつ区切って本を読むのだと書いていた。タイマーで計って15分。集中して読んだら、あらすじなどをメモするのだと。そういう形態もいいかもしれない。だから、電車の中で読むときは、とりあえず、15分読む。そして、しばらく頭の中でメモを取るシミュレーションをする。読んだことよりも自分が書こうとしたことは忘れないから、電車を降りてから、それをメモに書き写す。そういう手もいいかもしれない。

電車に15分乗っていればの話。

でも、本当に読みづらさを解消するのは、次の方法なのだ。

3) 外国語で読む。

外国語だと読みづらさを自分の言語能力の低さのせいにできる。それを克服しようと様々な努力をする。辞書を引いたり、読み返してみたり……


僕もこれまで、どれだけ相性が合わないかもしれない小説をスペイン語(や英語やフランス語、等々)で読むことによって困難を克服して読み終えることができたか……

腹立つことのみ多かりき

ABの馬鹿めが赤ら顔で(連休で浮かれて飲んだ後なのだろう)、9条に自衛隊を明記するだの、教育を無償化するだのと打ち上げたものだから、腹が立って、こんなツイートをした。


連休を利用して兄夫婦を訪れていた母と会ったばかりなので、記憶が上書きされ、僕の立腹の度合いはますます大きいのだ。

もうあちこちで書いたかもしれないが、わが家は貧しかった。生まれた時に父はなく、母ひとり祖母ひとり、子ふたりの家庭は、幸い持ち家だったから雨露はしのげたけれども、大島紬の織工では大した金も稼げない。母はだいぶ熟練の織工で、超人的な生産力を誇ったけれども(朝8時前から夜8時過ぎまで働いてのこと)、それでも大した収入にはならない。子供たちふたり(ひとりは、つまり僕だが)は、地域的特性から、高校に上がると家を出て下宿したり学校の寮に入ったりする人生を辿った。大学ならばなおのこと、家から通えるはずもない。これはある種、避けられない条件だ。そうした条件下でその子供ふたりを高校に、大学にやるのは、かなりきつい。

僕は高校から大学院博士課程まで、日本育英会(当時)の奨学金を借りた(借りたのだ。もらったのではない。つまり、語の厳密な定義から言えば奨学金ではない。ローンだ。手続き上の問題で返還免除は半分は得られなかったから、ますます、これはローンだった)。そして、高校から大学院博士課程まで入学金と授業料の免除を受けていた(院入試に失敗して4年を2回繰り返したその2回目だけは例外。月額分納だった)。全額免除が受けられるほどにわが家は貧しかったのだ。

授業料免除のような特権が得られてもなお、生活は苦しかった。奨学金は、大学の学部で21,000だっただろうか? 家賃が17,000円だったから、これを払うと僅かな額しか残らない。家から多額に送ってもらえるわけではないので、バイト三昧だった。自身の生活を悲惨だとか辛いとか考えたことはないけれども、いや、むしろ大学時代は楽しかったけれども、常に腹は減っていたし、欠乏感を拭い去ることはできなかった。

今、大学の授業料は僕のころの2倍くらいになっている。学生向けの下宿といえども17,000円なんてのはめったにあるまい。貸与であるとしても奨学金は家賃を払ってなお少しでも余るほどの額があるのか? 教師として務めて得た情報から判断するに、授業料も全額免除を得られほどの学生はそんなに多くはない。半額免除ですら必要としている人に比べれば足りない。「経済的理由」から休学したり退学したりする学生は、教授会のたびに複数、承認されている。僕ほどの底辺の底辺の貧困層でなくても、国立大学は、国立大学ですら、通うのに金がかかる、貧しい層には近づきがたい存在だ。

学生たちの経済状況の実態をきちんと調査しさえすれば、加えて、経済的理由から進学を断念する高校生の実態も調査すれば、この国の大学は学生の確保の面でも危機に瀕していることは明らかになるだろう。職業訓練だのグローバル人材だのと寝ぼけたことを言う前に、憲法に保障された教育を受ける権利を国民に享受してもらうために、無償で高等教育を受けられるようにするのが筋というものだ。


必修の単位すら取得していないはずなのに大学を卒業したとかいうABの馬鹿めには、しかし、わからない道理なのだろうか? 自分の提案がある種の人々に対する侮辱であることなど気づきもしないのだろうか? 

2017年5月1日月曜日

断髪の恐怖

昨日、ツイッターの「トレンド」欄(画面左側のコラムに今ツイッター上で盛んに書かれている単語が表示される。それが、「トレンド」)に「地毛証明書」というのがあったから、きっとカツラ狩り(これはこれでひどい)に対抗する手段か何かかと思っていたら、今朝の新聞によれば、高校の生活指導だとのこと。都立高校の6割が、天然パーマや髪の色の薄い生徒に提出させているのだそうだ。都立高校だ。とんでもないことだ。

それで思い出したのが中学の丸刈り規則問題。Wikipediaによれば、ごく最近まで存在していたのだ。

中学の丸刈り規則問題というのは、日本の少なからぬ地方の公立中学などで、男子は丸刈りとすることという規則を設けたり、それを推奨するとした方針を打ち出したり、あるいは明文化せずとも、そんな規則が存在するかのように、当然のごとく生徒に丸刈りを強いていたという問題。僕が中学に入ったのは1976年で、そのころは、明文化されていたかいなか、校則なのか「推奨」なのかを問わず、実質、鹿児島県の公立中学の男子生徒はほぼすべてが丸刈りだった。

大学に入ったころに、この中学生の丸刈り問題が全国的に話題になったことがあったと記憶する。鹿児島県だけではなかったのだと感心した記憶がある。そして、あくまでもWikipedia によれば、2000年代にも男子は坊主頭とするところは存続していて、やっと13年ころに、どうやらなくなったらしい。

本当だろうか? 僕が先日実家に帰ったときには、小学生たちの中に、特に高学年の子に坊主頭の子がいた。彼らは来たるべき中学入学に備えて、今から頭を丸めて準備しているのではないのか? 40年ばかり前の僕のように……?

奄美地方は特に最後まで丸刈り規則が撤廃されなかった地域だというから、心配だ。

40年ばかり前、僕もある日、ふと思い立って、坊主頭にしたのだ。「思い立って」というのは衝動的にという程度の意味だ。そこに自発性はあまりない。もう2、3年すれば中学に入ることになる、中学に入ると坊主頭にしなければならない、今からそれに備えていた方がいいのじゃないか、というプレッシャーのようなものが常に僕の頭の中にはあった。そのプレッシャーに屈したのだ。

生まれついて髪は柔らかく少なめな方だった。それに少し縮れている。ある長さになると途端に、ほんの僅かではあるが、ウェーヴがかかる。あまり美しい髪型はできそうにない。伸びるのも遅い。そういうあきらめのようなものは10歳のころにはある程度あった。事実、大人になってからも僕はあまり髪を長く伸ばしたことはない。人生で一番長かったのは、おそらく博士課程のころの数年間で、当時はオールバックにしてそれを固めるでなく、自然に左右に崩れ落ちるに任せていた(そういう髪型、何か呼び名があっただろうか? どうも記憶にない)。わずか2、3年の間のことだ。そういう写真が残っている。

しかし、40を過ぎたあたりからは、だいぶ薄くなってきたこともあって、坊主頭が少し伸びた、といった程度だ。長い目で見れば、坊主頭かそうでないかは、大した問題ではない。

しかし、それでも、自ら思い立って髪を丸めた日のことは忘れられない。僕はその日、これは夢に違いない、夢であってくれ、明日にはまた、髪を切る前の僕に戻っていてくれと願いながら就寝した。翌朝、起きてみると、髪は丸まったままだ。鏡を見ながら、この時間は、この人生は夢に違いない、夢であってくれ、と願い続けた。

そしてそれから40年ばかり、僕はずっと、自分の目の前で起こっていることは、自分が歩んでいる人生は、すべて夢に違いないと思っている。思い立って坊主頭にしたあの小学校4年の日、坊主頭にする直前までが僕の本当の人生だったと思っている。あの日、僕は本当の僕の人生を奪われてしまったのだと思っている。

理論的に考えれば、僕はきっと、坊主頭にしなければ、今度は髪にウェーヴがかかっていることによって学校(中学か高校か、あるいはその両方)から罰される運命にあっただろうと思う。そして、繰り返すが、今となっては髪など丸刈りと大差ない長さにしかできないのだし、そんなものでいいとも思っているのだが、でもやはり、男の子は丸刈りにしなければならないという運命の圧力に負け、髪を切り落としてしまった時のショックはどうあっても拭い去れない。ショックであり、屈辱であり、理解不能だ。


ある程度髪が薄くなると見切りをつけて自らスキンヘッドにする人々も少なからずいて、僕も今はそれくらいした方がいいのではと考えることもしばしばではあるのだが、なかなかそうした決断ができずにいるのは、40年前のあの日のショック、以後、自分の人生が自分のものだと思えなくなったむなしさを、もう一度感じることになるのじゃないかという漠然とした恐怖に駆られるからなのだと思っている。