2017年1月1日日曜日

正月が休みだなんて誰が言ったのだ?

あらゆる読書指南書が言わずして絶対に言うひとつアドヴァイスがある。それは明言はされないことの方が多いので、気づいていない人もたまにはいるかもしれない。けれども、本当にあらゆる読書論が言っているのだ。いや、言わずして勧めているのだ。それはどういうことかというと、すべての本は始めから終わりまで順に、しかも細大漏らさず読む必要はないということだ。逆に多くの本は飛ばし読みし、斜めに読み、必要な情報だけを得るのに使えばいいということ。中には「速読」などの語で言っているものもあるが、雑誌広告やある種の本に謳う「速読」はまた少し別の技術なので、今問題になっているのは要するに、斜めに読むということだ。斜めに読む技術と、じっくり読む技術とが必要だということ。
(ただし、小説や詩は別だ。これはパラテクストを眺めた後にはゆっくりじっくり読まなければならない。でもその小説すらも速度を変えたり順番を変えたりしながら読んだってかまわない。まあこれは別の話)

斜めに読むということは、まずはタイトルと紹介文、序文、あとがき、目次、文献一覧などのパラテクストを見て内容にあたりをつけ、後は飛ばし飛ばし読むということだ。飛ばすということは、段落の始め(とせいぜい終わり)だけを読んだりして内容を追うということだ。しかる後に、必要な段落、節、章を一字一句じっくりと読む。

ということは別の立場から言えば、こういうことだ。本は、たいてい読まれる本は、段落の最初(とせいぜい最後)を読めばその段落の中身がわかるようにできている。つまり、パラグラフ・ライティングが大抵は端正にできているものが、商品としての本になる。

さらに立場を換えて言えば、あるひとつの悲しい命題に行きつく。我々は飛ばし読み、斜め読みされる文章を書いてはじめて一人前だということだ。

多くの論文指南書などにパラグラフ・ライティングのことが書かれている(いや、実際には多くはない)。ひとつの段落はひとつないしはふたつのキーセンテンスと、それを説明する文章とから成り立つ10行ばかりの単位でなければならない、と。つまり、(とは書かれないことが多いが)急いでいる人にはそのキーセンテンスだけ読んでもらえば話がつながるような文章を我々は書かなければならないのだ。読み飛ばされる運命だ。

実際、読者としての僕らは、日々読む本を決めるため、仕事に必要な箇所を探すため、潮流に追いつくため、等々、いろいろな目的で膨大な量の活字を斜めに読み、分類する。1)読まなくていいもの、2)内容だけ把握していればいいもの、3)一部をじっくり読みたい/読まなければならない/読めばいいもの、4)全部をちゃんと読みたい/読まなければならなもの、等々と。

さて、正月は大学教師にとっては地獄の季節だ。そろそろ授業も終わるので試験やレポートのことも考えなければならない。その前に予習が尽きてきて、最後の一踏ん張りをしなければならないかもしれない。授業は休みなので、他の業種の人は我々を暇だとみなし、あれこれと言ってくる。大学業務以外でたまった仕事もある……しかし、なんと言っても我々がこの時期忙しいのは、卒論(や大学によっては修士論文なども)を読まなければならないからだ。仕上がってきた卒論も読まなければならないだろうが、この時期は何と言っても、年明けに締め切りを控え、ラストスパートをかけている卒論執筆者の草稿などを読み、添削し、アドヴァイスしなければならないのだ。

卒論や学会誌投稿論文などを審査する場合も、僕らはまず、斜めに読む。ただし、分類するためでなく、今度はこの斜め読みで内容が把握できるかどうかを確かめるために斜めに読む。これは上の「悲しい命題」から引き出される当然のやり方だ。斜めに読むことができないものはできの悪い論文なのだ。そして、しかる後に批判的にじっくりと読み直す。

たが、残念ながらこの「悲しい命題」は「悲しい命題」であるがゆえに、これを正視し、このことを納得している学生はそう多くはいない。こちらの日ごろの指導が至らないという理由もあるだろうが(でもなるべくパラグラフをしっかり書くように言っているつもりなんだけどな)、ともかく、やはりまだまだ文章作成になれていない学部学生の卒論草稿などは、斜めに読むことができないものが多い。パラグラフ・ライティングができていないものが多い。で、全部とは言わないまでもいくつかを実際に書き換えてみて、こんな風にするのだぞ、と言ってみるのだが、……これが実は根気と時間を要する作業なのだな。

やれやれ、本当に正月は忙しい。こんな文章を書いている暇なんかないんだけどな……

今年は4冊ばかり著書を書き終える予定。そうしたい。そうしなきゃ。頑張ります。ちゃんと読み飛ばされるような文章を書きます。


でも本当は悲しい命題にはその先があって、読み飛ばそうと思えば読み飛ばせるのだけれども、もったいないから一字一句読みたくなる文章というのが、僕たちが目指すべき場所でもある。第2段階の目標だ。そんな本を書きます。