2014年4月25日金曜日

女はいるじゃないか、たくさん

村上春樹『女のいない男たち』(文藝春秋社、2014)

9年ぶりだそうだ。短編小説集。全6編からなり、最後の表題作が書き下ろし。他は4作目(単行本掲載順ということ)の「シェエラザード」(Monkey vol. 2に掲載)を除けば『文藝春秋』に掲載されたもの。

最初の2作(「ドライブ・マイ・カー」と「イエスタデイ」)はビートルズの歌のタイトルから取ったのだが、この2作には雑誌掲載時、ケチがついたらしい。そのへんの事情を珍しく「まえがき」を書いて作家自身が説明している。曰く、「イエスタデイ」の関西弁自由訳のようなものに著作権者から注文が入ったのだと。そして何と言っても有名なのは、「ドライブ・マイ・カー」での中頓別町の扱い。ここの出身だという女性運転手が窓からタバコを投げ捨てたのを見て、視点人物が「たぶん中頓別町ではみんなが普通にやっていることなのだろう」と考えるというパッセージ。これに町議らから質問状が寄せられ、村上春樹は単行本収録時に書き換えると約束。が、この出来事を知った人々が怒り、逆に中頓別町が非難を浴びた、というもの。

町名は「上十二滝町」という架空のものに換えられた。『羊をめぐる冒険』で羊博士の別荘があったとされる、物語のクライマックスの舞台となる町が「十二滝町」だった。それに「上」がついたのだ。

このことについての判断を差し挟む気はない。ともかく、「ドライブ・マイ・カー」はその北海道の町出身の運転手を相手に、妻が浮気した相手と、その死後、友達になろうとした話を語る俳優の物語だ。

「イエスタデイ」は浪人中の友人木樽から自分の恋人とつき合ってみないかと相談を持ちかけられる大学生谷村の話。

「独立器官」はやはり谷村を相手に、裕福な独身主義の整形外科医が、失恋を語る話。

「シェエラザード」は何らかの任務を帯びて「ハウス」に蟄居する羽原伸行を世話する女が、自分の前世(やつめうなぎ)や高校時代の話をする、というストーリー。いちばん短編小説らしい。

「木野」は妻と離婚した木野が自分の名のバーを始め、そこを訪れる客たちと取り持つ関係を扱っている、ようにみえる始まり。『海辺のカフカ』や『ねじまき鳥クロニクル』にも通じる、村上春樹の長編の世界にいちばん近いだろうか。蛇淫。

表題作「女のいない男たち」は昔の恋人の自殺を知らされた「僕」が思い出と可能性とに思いをめぐらす、いささか技巧的な話。


既に書いたように、「シェエラザード」が最も短編小説らしいと言えるだろう。僕が一番身を乗り出したのは「独立器官」。渡会医師の思想というか志向性というか、そうしたものに、はからずも感情移入したかもしれないのだ、僕は。かつて村上春樹に対してあれだけの悪態をついていた島田雅彦の、当時のある思考実験と同様の試みを行っているのだ、ここで村上は!