2013年11月22日金曜日

落涙す

4月には高校時代の仲間が亡くなったと思ったら、今度は幼なじみが死んだ。小学校入学以前からの、文字どおりの幼なじみだ。癌が見つかったときには、もう5箇所くらいに転移していたそうだ。入院したと思ったらあっという間だった。

小学校で同じクラスだった、と言っても、おそらく、多くの人が抱くような小学校のクラスメイトの概念を超えているはずだ。ぼくらの同期は、それでも前後の学年より多かったほうだが、合計12名しかいなかったのだ(転入し転出したのがひとりいたので、最大13名)。良くも悪くも濃度が違うのだ。

中学を出てからは、別々の高校に進学したし、そんなに頻繁に会ったわけではない。帰省のたびに会った程度(算えるくらい)だ。役場に勤めていたけれども、出張で上京したときに2、3度は会った。その程度だ。が、ぼくは彼に対してはある種特別な思い入れを抱いていた。

彼の母方の苗字は、誰がどう見ても明らかな鹿児島の士族のそれ。ぼくの祖母は、時々、三百数十年の時を飛び越し、その彼の母方の者たちが私たちを征服に来たのだと語っていたらしい。1609年の琉球征伐のことだ。彼の母方のおばには白内障のだいぶ進行した人がいたけれども、それが我々の恨みのこもった返り血を浴びた結果、一族が背負うことになった運命なのだと……

子供時代のぼくは、祖母のそんな話をほとんどまともに受け取ってはいなかったのだけど、祖母も死んでだいぶたったある日、母から思い出話にそのことを知らされ、その時以来、どうにかこの話を文章化したいなと、漠然と考えていた時期があった。

友人とはそんな話をしたことはない。そんな話をする相手ではなかった。ただ酒を呑み、馬鹿を言い、共通の友人の消息を伝え合うだけだった。ぼくの思い入れというのは、一種傍系の想念に過ぎない。でも何だか、祖母が死に、祖母が呪詛した家系の末裔でぼくに一番近かった彼が死んでしまうと、1609年の出来事までが薄れてしまうような気がする。そこから生まれた征服された者たちの恨み節が消えてしまうような気がする。それを何らかの形にしようとしていたぼくの情熱が消えてしまうような気がする。なんだかさびしいのだ。


今日も明日も授業はないから、無理すれば通夜か告別式には出られるのかもしれない。でも、こまごまとした用が入っていて、それをずらすのも後に響いて剣呑だ。弔電だけで済ませることにした。宛名にもう80歳を超えているはずのお父さんの名を入れたとき、涙が出そうになった。