2013年10月26日土曜日

文学が人を破滅に導くことを教えてくれるのは、いつも文学以外だ

フランソワ・オゾン『危険なプロット』(フランス、2012)@ヒューマントラストシネマ有楽町。

かつて小説を出版したこともあるが、自分の才能に見切りをつけたフランス語教師ジェルマン(フランソワ・ルキーニ)が、あまりできの良くない高校生たちの中に優れた才能の持ち主クロード・ガルシア(エルンスト・ウンハウワー)を見出す。クロードは友だちの家に勉強を教えにいったついでに見た典型的中産階級の生活とその家の主婦エステル(エマニュエル・セニェ)を描写し、優れていた。しかも、その作文の宿題は「続く」à suivre という表現で終わっている。読んで聞かせた妻ジャンヌ(クリスティン・スコット・トーマス)ともども、ジェルマンはすっかりクロードの文章にのめり込んでしまう。クロードは次々にその続きの文章を提出してくる。彼はやがてエステルを誘惑しようとする。

ジェルマンはクロードに書くことを教えている。クロードは友人の家に潜入して、見たままやったままを現在形で書いていると主張している。ジェルマンが知っているのは文章の中の出来事。それはクロードによれば現実の出来事。視点はあくまでもジェルマンの側にあるので、クロードが本当にエステルを誘惑しているのかどうかはわからない。読ませる文章にするためのコツを教えると、クロードは書き直して第2、第3のヴァージョンを作ってくるから、ひょっとしたらフィクションなのかもしれない……

フィクションと現実とが作者と読者、生徒と教師でもある作者と読者の会話の中で渾然一体となる。クロードがエステルを狙っていることが発覚したとき、ジェルマンとジャンヌの夫婦が観に行った映画はウディ・アレンの『マッチ・ポイント』だったが、クロードの文章内での友人宅の出来事にジャンヌが介入していくところなどはウディ・アレン(たとえば『ローマでアモーレ』のアレック・ボールドウィン)を思わせる。戯曲をもとにした状況劇で、サスペンスフルな展開の背後から聞こえてくるBGMはセニェの夫ロマン・ポランスキーの映画を思い出させる(が、それが何だったか思い出せない。特定できない)。


そう。原作は戯曲なのだ。スペインのフワン・マヨルガJuan Mayorga。恥ずかしながら知らなかったのだが、この劇作家の『最後列の男子』El chico de la última fila という戯曲とのこと。ジェルマンもまた最後列に座りたがる人間だったが、そんな似た者同士の疑似父子関係などというテーマもほのめかされている。