2013年1月19日土曜日

跡づける


10月くらいに授業でナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』幾島幸子、村上由見子訳(岩波書店、2011)を引き、チリのクーデタがいわゆるグローバル化のひそかな始まりであり、それと戦ってきたピノチェト以後のチリの作家たちは読み返されなければならない、というようなことを言った手前、読んだのだ。

中山智香子『経済ジェノサイド:フリードマンと世界経済の半世紀』(平凡社新書、2013)。

そりゃあね、シカゴ学派の導入を紹介してチリがグローバリズムの起点だ、と授業で言うのは簡単だが、ぼく自身は別に思想史的にそれを跡づけたわけでもないし、それを跡づけた書を読んだわけでもないので、こんな書があると助かるというもの。

シカゴ学派の爪弾き者としてのアンドレ・グンター・フランク(ちなみに、「経済ジェノサイド」という不穏な用語は彼のもの)を対置しながら、フリードマンの主張がチリの経験を通過して「主義」として浸透していくさまをたどり、J・K・ガルブレイスとの対比でイギリスでサッチャリズムに結びつく様子を確認し、企業家に浸透していくさまを追う展開は、実に参考になる。途中、グローバリズムを越えるものとしてのカール・ポラニーの経済人類学の概念を導入し、展開していくのは、今回のぼくにとっては、また別の展開。

(そういえば、この間書いたように、大学のころ、フランクやボラニー、読んでいたのだよな、ぼくは)

ちなみに、今日(もう日付がかわったので、正確には昨日、18日)、ちょっとしたインタビューを受け、それを撮影もされたのだった。気恥ずかしい。