2012年9月16日日曜日

読んでから観るか、観てから読むか?


体が動かないので、映画でも観よう。

表題のフレーズは角川が映画に乗り出したときのキャッチコピーだっただろうか? そういえば、小学生のぼくは、観てもいないのに読む、と宣言して森村誠一『人間の証明』などを読んだりしたものだ。高校に入ってからポランスキーの『テス』を観て、当時配本中だった集英社の世界文学全集に入れられたトマス・ハーディ『ダーバビル家のテス』など読み、ペンギンのペーパーバックでも読み、三重に楽しんだのは、主演のナスターシャ・キンスキーに恋をしたから? 

ま、ともかく、順番なんざどちらでもいい。映画と原作小説は比べてみるところに面白みがある。

というわけで、ビセンテ・アランダ『クラブ・ロリータ』(スペイン、2007/DVDはタキ・コーポレーション、熱帯美術館)。

これはフアン・マルセー『ロリータ・クラブでラヴソング』稲本健二訳、現代企画室、2012の映画化作品だ。

映画化されたストーリーを言うと、こういうこと。双子の兄弟(エドワルド・ノリエガ)がいる。兄ラウルは荒くれ者の行き過ぎた刑事。ビーゴに勤務中に、ちょっとしたことで売春組織を牛耳るマフィア、トリスタン家の息子を負傷させ、父の恨みを買う。謹慎を食らってオレンセの実家に帰ると、知的障害を持つ弟バレンティンが、そのトリスタン家の経営する娼館ロリータズ・クラブの厨房兼雑用係として働き、そこの娼婦ミレーナ(フローラ・マルティネス)に入れあげていることを知る。怒ったラウルはバレンティンをそこから引き離そうとクラブに乗り込み、脅したりミレーナを買ったりする。が、バレンティンはラウルと間違えられ、トリスタン家の刺客に殺される。ラウルは以前、トリスタン家の手下だった者から手に入れた情報をもとに彼と交渉、あることを勝ち取るのだが……

娼館の名前は "Lolita's Club" この 's というのは英語法で、伝統的なスペイン語にはないはず。通常なら Club Lolita だろう。それを斟酌して映画は「クラブ・ロリータ」としている。さりとて「ロリータズ・クラブ」という言い方は日本語にも馴染まないので、小説の翻訳では「ロリータ・クラブ」なのだろう。

映画と小説の根本的な違いだな、と頷いたのは、まず、娼婦たちの訛りだ。一瞬にして彼女たちがコロンビアやキューバなどから買われてやって来たことがわかる。活字ではこうはいかない。たとえば単語の選択などで差異化することは可能だろう。cocheと言わずにcarroとかautoと言っている者がいれば、その者の出自を想像することはできる。が、それを翻訳に反映させるのはますます難しい。原文でもイントネーションや発音の特性などは、すぐには分からないのだ。ちなみに、映画にはcoach de diálogos というスタッフがクレジットされていた。「会話コーチ」だが、要するに日本のTV番組などでときどき見る「方言指導」みたいな立場だろう。

もうひとつたちどころに理解できるのは、双子の実家が訳あり家族だということ。父親ホセの妻オルガ(ベレン・ファブラ)が若すぎて、後妻だということがすぐに察せられる。小説も、最初からこの不穏さを示唆してはいるのだが、オルガの年まではわからないものだから、勘を働かせないことには見逃してしまいそうだ。

 濃い霧に包まれたビーゴを出て、運転している間に、携帯電話で父親の家へ電話した。
「バレンティンなの? あなたでしょ?」
「ラウルだけど?」電話に出た女の声に気が動転して、調子外れの声を出してしまったが、無言のまましばらくが過ぎた。一体どうしたんだ? しかし、父親と話している振りをした。「やあ、父さん。移動中なんだけど、夕方には家に着くと思う……」
 無言のまま。
  (略)
「で…… オルガは元気?」いや、奥さんと言うべきだったかな、と思った。(38-39ページ)

ちなみにこの翻訳、今年の2月に出版されたのだが、半年以上経って、実はぼくは書評することになったのだった。さて、ちゃんと読み返そう。