2012年8月15日水曜日

クローンが街にやって来る


César Aira, El congreso de la literatura (Barcelona, Random House Mondadori, 2012)

メキシコ以外の世界に向けての版、と謳っているけれども、つまり、以前(1997)、小さな出版社から出されたものが、大手で再版されて出回るものだということ。だと思う。「メキシコ以外」というのは、メキシコではEraがアイラの作品は出しているので、これもこの社の版があるか、もしくは、これから出るのだろう。

マクートの糸という自然現象を解明した〈マッドサイエンティスト〉こと私(セサル)は、クローン製造に乗り出し、試作人物の制御に困って、天才のクローンを作らねばと思い立つ。天才というので思いついたのはカルロス・フエンテス。そこで、フエンテスの細胞を盗むために、ベネズエラのメリダで開かれる作家会議にやって来る。首尾良く細胞を盗み出したはいいが、……という話。

ふだんは「ネタバレ」をタブー視するなど愚かなことだと考えているぼくも、さすがにこれは結末は書けない。ともかく、変なものが出てくるのだ。奇妙なものの出現がもたらす驚きにおいて、これは『ゴーストバスターズ』のマシュマロマンに匹敵する。とにかく、おかしいのだ。

クローンを扱うSF(?)でありながら、文学会議のオープニングで「私」の書いたアダムとイブの不倫をテーマにした戯曲が、学生劇団によって上演されるなど、どうしても小説を何かの隠喩またはアレゴリーとして読んでしまいたくなる、われわれ読者の宿痾に対し、小憎らしい挑発がしかけられているところが悔しい。極めつきは以下の一節。

クローン製造器が人間と服の境目を認識するなど、どうすればできるというのだ? やつにとってはどれも同じことだ。何もかもひっくるめて「カルロス・フエンテス」なのだ。つまるところ、文学会議に出席している批評家や先生方にとっても大差ない事態が生じるはずだ。彼らだって人間とその人の書いた本との境目はどこにあるかと問われれば、答に窮したに違いないのだ。彼らにしてみれば、本も人もひっくるめて「カルロス・フエンテス」なのだから。(102)

うーむ。そうなのだよ。そうなのだが、だからって、こんな展開になるかね? という話。