2012年4月6日金曜日

短絡にため息をつく

こんなのが回ってきた。東大の秋入学移行に反対する教員有志の会。

すばらしい。

大学についての議論がなされるとき、そこで語られる「大学」というのは、国立大学・理科系中心だ。われわれのごとく文化系・地域限定大学は例外。だから行われている議論に真剣に参加する必要も感じない。しかるに、主に理科系の先生方から、こうして声が上がってきていることは頼もしく、慶賀すべきことだと思う。

実際、9月入学を、その他の社会は変化しないままに大学だけで行おうなんてのは、愚だ。いろいろと「メリット」とかいうものが喧伝されているらしいが、これを本気で唱えているのだとすれば、その主導者は相当脳天気で軽薄な人間だと思う。外国の大学との差を埋めて人材交流をスムーズにだと? 世界のすぺての大学が9月始まりではないのだ。そして4月始まりの国と9月始まりの国の大学の人的交流をやりやすくするには、もっと他の手段がある。

大学の進行を学期(セメスター)単位に完全に移行すればいいだけのことだ。通年で学年進行を考えるやり方から脱出できずにいるから、こんな考え方が生まれるのだ。2年生の後期から1年間留学する、ではなく、第3セメスターが終わったところで留学し、戻って来たら第4セメスターからやり直す、と考えればいいだけのこと。大学は4年間在籍するのでなく、どんな取り方でもいいから8セメスター履修して規定の単位を取って卒業する、と。もちろん、進行に合わせて第何セメスターでは(までには)これこれの単位を履習のこと、というようなプランを学部、コースごとに明確にして、そのとおりに履修できない者が留年、もしくは退学になる、というやり方。

たとえばメキシコ国立自治大学(UNAM)は、現今の学期は2月に始まるのだが、どこの学部も卒業の要件はセメスター数で示している。9セメスター+社会奉仕+卒論、という具合に。

もろん、これを円滑に運用しようと思えば、教員の数はどの大学も今の2倍くらいは欲しくなるところ。それを言っちゃあおしまいだから、秋入学、なんて根拠薄弱なことを言い出すのだろうな。

日本の大学の教員の仕事は激務である。日本の大学の国際競争力が落ちているのだとすれば、一因はそこにもある。ま、これはいやな仕事ではないのだが、ぼくが最近、授業以外でやった仕事が、写真。東京外国語大学出版会の冊子『ピエリア』2012年春号だ。これの編集長として巻頭の「新入生へのメッセージ」を書いた。好きに生きていけ、と?

そんなことを書いていたら、ある委員の仕事をしろ、とのメール。

やれやれ。やってもいいけど、おれ、これ以上会議を入れる時間なんかあるのかな?