2011年7月26日火曜日

prueba

仕事にはフェティッシュがつきまとう。

大学の教室の隅の佇まいを好きだと思えなければ、大学の教師なんてやっていられないことがある。中身もともかく、書物の手触りにぞくっとする経験を持ったことがなければ、読書を仕事に選ばなかっただろう。

で、びっしりと赤の入ったゲラを愛おしく思うことがあるからこそ、著書や翻訳書を出す気になれるのだ。

今日、10月に出版される予定の小説の翻訳、初校ゲラが送られてきた。こんなふうに赤を入れながら仕事をしている。

仕事に疲れると散歩に出る。散歩に出ると本屋に立ち寄る。本屋に立ち寄ると本を買ってしまう。

田澤耕『ガウディ伝:「時代の意志」を読む』(中公新書、2011)

「これまでの本の多くは、ガウディとその作品を時代や社会から取り出して扱ってきた。ならば、ガウディを元の場所に戻してやったらどうだろう?」(i-ii)副題の「時代の意志」とは、ミース・ファン・デル・ローエの言葉。エピグラフに挙げられている「建築は、空間に表現される「時代の意志」である」と。

それから、吉見俊哉『大学とは何か』(岩波新書、2011)

大学は中世からの制度ではあるが、実は近代になってから生まれ変わっていること、そして大学はメディアであること、そのことを踏まえて大学教育の根幹であるリベラル・アーツはどうあるべきか、などを論じたもの。大学はメディアである。いかにも。