2011年2月26日土曜日

記憶と言語の問題

昨日、入試が終わってから念のためにとメールボックスを覗いたら、あった。

フアン・アリアス『パウロ・コエーリョ 巡礼者の告白』八重樫克彦・八重樫由貴子訳(新評論、2011)

ご恵贈いただいたのだ。うーむ。八重樫夫妻のペースと来たらすごいな。きっと2人だけでなく、両方の両親とか子供2人(がいると仮定しての話だが)まで動員してフル稼働で働いているに違いない。今度はスペイン人作家によるコエーリョへのインタビューか。

しかし! その前にこれを読まなきゃ。その下にもう一冊、あったのだ。
ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』都甲幸治、久保尚美訳(新潮社、2011)

ドミニカ出身の合衆国英語作家。ピュリッツァー賞受賞作の待望の翻訳だ。トルヒーリョを扱った3作が、これで揃ったことになる。授業のために、読むべし、読むべし。明日のために、打つべし、打つべし。突くべし、突くべし、払うべし……

 そもそもそれはアフリカから運ばれて来たのだという。奴隷たちの叫び声とともに。あるいはタイノ族を殺した呪いだという。一つの世界が消え、もう一つが生まれたとき発せられた呪いだと。あるいはアンティル諸島に開いた悪夢のドアから天地創造のただ中に引きずり出された悪魔だという。フク・アメリカヌス、通称フク——それは、広義には何らかの呪い、または凶運を指し、狭義には新世界の呪いや凶運を指す。それがコロンブス提督のフクとも呼ばれるのは、彼こそがフクを取り上げた産婆であり、かつヨーロッパの偉大なる犠牲者のひとりでもあるからだ。(9ページ)

うむ。面白そうじゃないか。トルヒーリョ(本文ではトルヒーヨ)こそがこのフクの大いなる「宣伝係」だというのだから。

だが、待てよ。この話、ぼくは知っている。読んだ記憶がある。何だっけ?……フクを巡る書でも読んだんだっけか(でもそもそも、本当にそんな伝承があるのか)? それとも他の小説(例えばトルヒーリョを巡る他の小説。『チボの狂宴』、『骨狩りのとき』)で?

何のことはない。原書のこの部分(プロローグだ)をぼくは読んでいたのだった。

しかし不思議なものだ、とぼくは思う。英語で読んだ文章を、その翻訳を読んで読み覚えがあると言えるものなのだろうか? ぼくはあくまでも、

    They say it came first from Africa, carried in the screams of the enslaved; that it was the death bane of the Tainos, uttered just as one world perished and another began; ….

と読んだのだ。例えばbane なんて詩語、あまりよくわからないけど、まあなんとなく、あれだろうな、death の後に来ているのだから、断末魔の叫びとか、そんな感じ? ……などとやり過ごしながら読んでいたはずだ。それでもアレとコレが同じだと思えるのはなぜだ? としばし佇んでいた。

写真は原書Junot Díaz, The Brief Wonderrous Life of Oscar Wao(New York: Riverhead Books, 2007)と翻訳を並べたところ。翻訳の装丁がかわいい。