2010年12月30日木曜日

関わりたいにもかかわらず……

ツイッター上で紹介されてこんな記事を読んで、それはそれで面白いと思ったのだが、にもかかわらず、……引っかかってしまうんだな、なんというか、とても細かいことに。……にもかかわらず。

「にも関わらず」だ。引っかかってしまうのは。今、この誤字があまりにも氾濫している(先日、これが誤字であることを卒論の学生たちに指摘したら、心底驚いていた。感動すらしていた)。この連語は、今どきの活字メディアでは開いて(つまり、平仮名で、という意味)使用するのが主流だと思うのだが、あえて漢字で表すなら「にも拘わらず」だ。『広辞苑』でも『大辞林』でも『大辞泉』でも『日本国語大辞典』でも、この字か、せいぜい、それに加えて「にも係わらず」という漢字が載っているだけだ。「にも関わらず」なんて、ない。「関係する」からの転用だろう、「関わる」としては出てくる。それの打ち消しだから「関わらず」だと思ってこの字を使うのだろうが、ともかく、主な辞書には登録されていないのだ。だからぼくも「こんな誤字には関わらず読み飛ばす」という用法なら気にならないけど、「誤字であるにも関わらずよく使われる」なんて使用された日にゃ、肋骨の周りの神経がむずむずしてならない。教授会の資料などにこんな字が出てきたら、その場で赤ペンで訂正して、周囲の同僚たちに笑われたりする日々だ。

ま、ともかく、昨今の活字文化の主流は、こうした語は開くのだから、「にもかかわらず」としておけばいいのだよ。と、これだけ言っているにも関わらず……もとい! にも拘わらず……にもかかわらず、誤字は後を絶たないのだな。……おっと! 跡を絶たないのだな。

あ、ちなみにもうひとつ、おなじその記事の中で「ナイーブ」という語が出てくる。「アフターグッドは、理想に燃えるウィキリークス主催者側の姿勢を「ナイーブな人たち」と評した」と。引用元がnaiveという語を使っているのだから(I just think they're naive)、この「ナイーブ」(ぼくは「ナイーヴ」と書く)、「単純な」の意味だということはくれぐれもお忘れなく。「繊細な」の意味は英語にもその基になったフランス語にもない。そのことをわかって「単純な」の意味で使う人と、そうではなく、日本語で受け入れられているような「繊細な」の意味で使う人がいるから、ややこしてくしかたがない(にもかかわらず〔!〕、かく言うぼくも、「単純な」の意味で使用して話をややこしくすることがあるわけだが)。もういっそのこと、「ナイーヴ」なんて外来語は使わない方がわかりやすい、とナイーヴなぼくなどは思ってしまう。