2010年9月11日土曜日

63年8月の出来事。あるいは記念日嫌い

63年8月の出来事といっても、何のことはない、ぼくが生まれたというだけのことだ。乙女座だ。わざわざ「63年」と書いたのは昨日の記事のタイトルにつられてのことだ。

8月生まれの者は夏休み中に誕生日を迎えるので、多感な学校時代に友だちから祝ってもらえないという運命を背負うことになる。ぼくもひょっとしたら昔は、誕生日を好きな友人たちに祝ってもらいたいと思いながらわくわくと待ちわびていたかもしれない。でも時期は夏休み中。みんなあちこちに出かけたり、だらだらと過ごして他人のことを忘れたり、あるいはぼくの場合、もう8月も終わろうとするころだから、ため込んだ夏休みの宿題に追われていたりしたのだろう、祝ってなどもらえなかった。……そうこうするうちに、誕生日は誰かに祝ってもらうものだという思い込みを捨てるにいたった、のかもしれない。

ま、この推測が正しいかどうかはわからない。ぼくだってたまには誕生日を祝ってもらう(ありがとう!)。でもまあ、ともかく、そんなわけで、記念日には無縁でいることが多かった。何であれ、何かの記念式典などには立ち会ったためしがない。あまり。記念日・祈念日にそのことを想起する感慨にふけることもない。コロンブスの新世界到着五百年の年が始まると、ぼくはそそくさとメキシコを出て日本に帰った。たとえばの話。

さて、今日、以前泊まったメキシコのホテルからのダイレクトメールを見て思いだした。もうすぐメキシコの独立記念日で、しかも今年は独立二百年祭なのだった。

メキシコの正式な独立年は1821年。でもこれを勝ち取るための戦争が始まったのは1810年。ドローレス村のイダルゴ神父が蜂起したときに始まる。その蜂起が9月16日のことで、だからメキシコの独立記念日はこの日とされる。パレードが開かれ、大統領が大統領府バルコニーから、目の前にある広場ソカロに集まった人に向かって、「メキシコ万歳!」等と叫ぶ。これが「グリート」Grito(叫びの意)と呼ばれる独立の日の儀式で、これはTV中継されるし、ソカロに集わない人々はTVの前で大統領とともに叫ぶ。

独立記念日だけでなく、独立の年も1810年と見なすのがメキシコの公式見解ということか、1910年には100年祭というのが開かれた。『ラテンアメリカ主義のレトリック』第1章「ルベン・ダリーオの災禍」は、この100年祭をめぐるエピソードから語り起こした。そんなぼくがそれからさらに100年後の今年、メキシコにいなくてもいいのかなあ、という気がしないでもない。でも記念日嫌いなぼくのこと、本当はそんなに行きたいわけでもない。

独立100年の際には、過去の総括として、たとえば、『100周年アンソロジー』Antología del centenario という本が何年か前から準備され、出版された。これに携わったペドロ・エンリケス=ウレーニャらを中心としたグループがメキシコの知の変革を迫った。ぼくが『ラテンアメリカ主義のレトリック』に書いたことはそんなことだった。そんな言わば潜在的な動きを知るには、数日滞在して行事に立ち会うだけでは足りない。逆に言えば、無理してそこにいなくても、努力次第で知ることはできる。

記念日嫌いなのはそういう理由だ。誕生日が8月だからではない。たぶん。

……でもなあ、それでも行きたいな。メキシコ。

今年の独立記念日は、ある大学の集中講義の日だ。みんなでやっちゃおうかな、グリート……