2010年6月2日水曜日

「そんな中」

 健康診断。ずっとなにがしかの金を払っていわゆる人間ドックに入っていた。去年、あまりにも忙しくて忘れていた。途切れたのを機に、大学の健診を受けてみた。たぶん、以前よりチェック項目が増えていると思う。胃のレントゲン(バリウムを飲む、というやつ)なんてなかったはずだ。まあだから、日帰り人間ドック程度には項目が増えた。悲しくなるほどの健康体としては、これで問題なかろう。


 終わって研究室に戻ったら、鳩山由紀夫退陣のニュースを知った。(半分以上)外交問題であるはずの基地問題を、官僚やメディアとの情報コントロール争いに敗れて公約問題に矮小化してしまった非政治的な人間の、あまりご立派とは言えない退陣。もとからこの人に総理大臣の資質など認めていないから、擁護する気もないけど、何だかいくつもの問題のすり替えが行われているような気がしてならない。

 問題は「そんな中」にあると思う(と、これも問題のすり替えだと思うが)。「そんな中」、「……する中」、「その中で……」等々。

 例:「ぼくがバリウムを飲む中、鳩山由紀夫が辞意を表明した」。「普天間問題で逡巡する中で内閣支持率が落ちて行った」。

 「上」も「下」も「横(加えて、とか、一方、など)」もどこかに行ってしまい、対比、同時性を表す接続詞が今、すべて「中」に収束しようとしている。

 若者の言葉が乱れていると嘆く人はいる。そんなときに取り上げられるのは、たいてい、名詞や動詞だ。でも、そんな中(へへ)、老若男女を問わず、止めどなく崩していっているような気配を見せているのが、接続詞だ。「そんな中」だ。

 接続詞こそ思考の要だと言ったのは誰だっけ? ずっと昔、高校生くらいのころに何かで読んで、なるほどと思い、爾来、そのことを気にかけるようになった。接続詞こそ思考の要だということを。事象Aと事象Bの関係は、上下なのか前後なのか、単なる横なのか、内と外なのか、それとも無関係なのか、それが問題なのだ。

 本当はこう言うべきだろう。「ぼくはバリウムを飲んだけど、その間、違う空の下、鳩山由紀夫は苦渋を飲んだ」、「普天間問題で逡巡したから内閣支持率が落ちた」。

 こう言ってくれれば、普天間問題と内閣支持率が因果関係にあることがわかる。そしたら、はたしてその因果関係は本当に正しいのか? との疑問を呈して、議論を前に進めることができる。「普天間問題で逡巡する中、内閣支持率が落ちていった」では、よくわからん。普天間問題、あったよね、支持率、落ちたよね、でも何がいいたいの? としか言えない。

 突然の首相辞任で日本社会が動揺する中、ぼくはこれから学生たちと飲みに出かける。

 これは「中」でいい? 街に飛び込んで行く感じ? ぼくは「動揺を尻目に」と言いたいな。それがぼくの心情にぴったりだ。