2010年5月9日日曜日

母でもないのに……あるいは、時には母のある子のように

 6日(木)は表象文化とグローバリゼーションでお招きしているKさんを囲んで関係者で食事。遅れてきた別のKさんは、その主賓Kさんに、着くなりスクワットがいいらしい、八代亜紀は3ヶ月で7キロ痩せたとのこと、などと切り出す。コスプレで『アリス』を観に行く話やら『オーケストラ』の話やらナボコフ『賜物』の話やらと賑やかであった。こういうノリはなんと言えばいいのかなあ、などと思っていたら、主賓Kさん、ご自身のツイッターに「文芸部の部活のり」と書いておられた。


 うまいことを言う。

 7日(金)は学生を誘って……学生に誘われて吉祥寺びいどろ。ここは以前、入ろうとして満杯ではいれなかったので、リベンジなる、ということだ。食べ過ぎた。飲み過ぎた。当分の間、絶食してつじつまを合わせよう。

 8日(土)乗り捨てた車を取りに行く途中、ぼくの好きな小説家のOさんが、比較的近くに座った。携帯に向かって難しい顔してなにかを打ち込んでいる。もしやと思って帰宅後、ツイッターを見たら(ぼくは彼をフォローしている)、電車の向かいに座った人物の腕時計がやたらと大きいことに驚き、「軽薄短小の時代は終わったのか」と書き込みしていた。ぼくは文学の誕生の瞬間に居合わせたのだった!

 今日、近所の本屋で買い物したら、「母の日ですので」とカーネーションを一輪、手渡された。ぼくは母ではないし、ぼくの家には母はいないのだけどな。ましてや母の日なんて、軍事要員増強のための産めよ増やせよ作戦としてナチス・ドイツが奨励した、そんな忌まわしい日を祝うなど、私にはできない、と突っぱねるのも馬鹿みたいだし、おとなしくもらうことにした。帰り道、ぼくは母を愛する息子か、でなければ愛する娘また息子の母、つまり妻をいたわる夫のように見えたのだろうな。

 もらったはいいが、カーネーションなど持っていてもしかたがないので、イエス・キリストが一塊のパンからそこにいる全員の分のパンを作り出し、分け与えたように、この一輪のカーネーションを世界中の母親たちに分けてあげることにしよう。

 で、その本屋で何を買ったかというと、

永井良和、橋爪紳也『南海ホークスがあっころ――野球ファンとパ・リーグの文化史』(河出文庫、2010)

 これは2003年の単行本発売時に買っていた本ではあるが、文庫化されたので。関西人たるものタイガース・ファンでなければならないなどと思い込んでいる連中はこれを読め!

 ぼくは関西人ではないけど。

 帰宅後、見てみると、ちょうど南海の後身(というのか?)福岡ソフトバンクが福岡西鉄ライオンズの後身埼玉所沢西武に負けが決まったところだった。かつて(1950-60年代)ともに日本シリーズで読売を倒すことを至上の目標として、しのぎを削った2チーム(92-96ss)が、すっかり変わり果てた姿で戦っていた。